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石田明生

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手が語りかけるもの・・・ル-ヴル再訪
 この度、またルーヴルを見学しました。入館料8.5ユーロを支払ったのは、ずいぶんと久しぶりのような気がします。さすがに今回は短い滞在でしたので、第一日曜日(ル-ヴル無料の日)はありません。
 その分、見るものはしっかり見なければ、そんな思いの美術館巡り、行きつ戻りつし、細部に気をつけて写真を撮ってみました。


I. クェンティン・マセイス(1465/66-1530)
マセイス.LPG
クェンティン・マセイス(フランス語読みはカンタン・マシス)作『両替商とその妻』

マセイス手.JPG



 マセイスはまさに写実の極致まで行った画家、手前にある書物の隣の鏡に左側の窓の外の景色まで描かれているのは有名だ(拡大するとわかるかも)。
 すると、コインを持つその手は、静脈まで浮き出た緻密な描写で、富に対する彼の静かな情熱と執着を表わしている。
 この絵は地味ながら、ル-ヴル美術館所蔵作品の傑作中の傑作と言える。
 マセイスはアントワープの写実の伝統を受け継ぎ、それを後世に伝えたフランドルの画家だ。
 次のはあまりにも有名な一枚、しかし、「手」を意識して絵を見た時、これを無視するわけにはいかない。


II. フォンテーヌブロー派
デストレ全体.JPG
フォンテ-ヌブロ-派【ガブリエル・デストレと妹】

 フォンテーヌブローはパリから列車で50分程のところにあるお城だ。
 フランソワ1世はここにイタリア・ルネッサンスを根付かせようとイタリアから芸術家を招いて城を造営した。そこから生まれたのがフォンテ-ヌブロ-派、優雅とエロチスム、繊細と大胆を兼ね備えた不思議な画風だ。
 この絵を描かせた時、ガブリエルはアンリ4世の寵愛を一身に受けていた。そしてその愛の果実とでも言うべき、御子を身ごもる。その喜びを表現した絵がこれだ、と言われている。
 向かって右側がガブリエル、左側が妹。

指輪.JPG


胸.JPG


 彼女は国王から三人の子を授かった。その中の長男、ヴァンド-ム公は17世紀の歴史の一役を演ずることになる。
 1599年、国王アンリは離縁同然だった「王妃マルゴ」と正式に離婚する。エストレ家出身という恵まれた家柄の彼女は、王妃への期待はいやが応でも広がったことだろう。
 左手でつまむ指輪は王との婚約を象徴しているのだろうか(実はこの絵がいつ描かれたか特定されていないので、この指輪が王との結婚を象徴しているなら、絵は身ごもった祝いではないことになる)。
 王妃の座が目前に迫った1599年、彼女はフォンテーヌブローの城での晩餐から戻ると、突然の腹痛に襲われ、急死したと伝えられている。享年はまだ若い、28歳だった。
 国王アンリ4世は翌年、あのマリー・ド・メディシスと結婚したのだ。
 ついに、エストレ家から、王妃は誕生しなかった(毒殺では?ですって。死因は今だなぞだ)。


III. フィリップ・ド・シャンペーニュ(1602-74)
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フィリップ・ド・シャンペーニュ(1602-74)【アニェス・アルノ-修道院長】

アニェス手.JPG

 シャンペーニュは信仰心が篤く、宗教画家として一頭地を抜いていた。娘をポール・ロワイヤル修道院にいれたが、そこの修道院長がこの絵の女性だ。
 彼女はジャンセニスムの徳高き修道院長として知られ、画家が全幅の信頼を寄せているのが、絵から読み取れる。指の先端まで、丁寧に慈しみを表現する。


IV. カミーユ・コロー(1796-1875)
真珠.jpg
ジャン=バティスト=カミーユ・コロー【真珠の女】

コロー手.JPG

 コロ-晩年の新居近くに住んでいた商人の娘がモデルと言われている。初々しい美しさをたたえる彼女の額にあるのは真珠ではなく木の葉だ。では真珠はどこに?
 彼女の面(おもて)に現れる輝きそのものが真珠なのだ。齢七十にして、どんな思いを込めてコローはこの絵を描いたのだろうか。
 その答はもしかすると、彼女の手にあるのかも知れない。この手の組み方は、まさにモナリザを意識したもの。コローにとってこの絵は、レオナルド・ダ・ヴィンチの「ジョコンド」に匹敵するのだろう。この「真珠の女」はコローの死後、発表された。
 よく見ると、彼女は右手の薬指に素朴な指輪をしている。それがさり気なく美しい。


V. ジローラモ・デッラ・ロッビア
全体.JPG
【カトリーヌ・メディシスの「トランジ」全体】

 カトリーヌ・メディシス(11519-1589)は我が旅行記においても何度も登場している王妃です。特に見ていただきたいのは僕の『死の具象化』中の彼女の墓です。他の王や王妃のと異なり、彼女だけは、ウェヌスのような恥じらいのポーズをしていました。肉体も若々しい、老いさらばえたものではありません。
 実を言うとそれでは「トランジ」にはなりません。トランジとは、現世の肉体が老い、痩せさらばえ、死後は腐敗していく、一種の醜化の変容なのです。現世における、罪の告白の一種なのです。「これだけ私はひどいことをし、ひどく醜くなりました。どうかその分、あの世では暖かく迎えて下さい」

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【カトリーヌ・メディシスの「トランジ」上半身】

 また、その姿を墓に安置し、人たちに哀れんでもらう、それも大切な狙いでした。王や王妃と言えども、人の祈りは不可欠だったからです。
 あの「聖バルテレミーの大虐殺」を引き起こした彼女は人一倍醜く変容しなければならないのかも知れません。
 しかし、ジローラモ・デッラ・ロッビアにこれを作らせた時(1566)、彼女は「聖バルテレミーの大虐殺」(1572)を引き起こすなど、想像だにしていなかったことでしょう。

手.JPG
【カトリーヌ・メディシスの「トランジ」手】

14歳でフィレンツェからフランスに嫁いで来れば、夫アンリには絶世の美女と言われたディアーヌ・ド・ポワチェという寵姫がおり、ただただ子供を生む機械とされ(誰かが言っていたな)、忍従の毎日を送ります。
 夫アンリ2世は不慮の事故で急逝し、息子フランソワ、シャルルが若くして即位するも、宗教戦争真只中の時代、まさに藁をもつかむ思いでかのノストラダムスを呼んでみたり、娘のマルゴをプロテスタントの王アンリと結婚させたり、綱渡りのような政治をせざるを得ませんでした。
 シーツを握りしめた彼女の手は、そんな彼女の苦悩をイタリア人彫刻家ロッビアはよく理解していたのでしょう、諦念ではない静かな意志を感じさせます。
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美術鑑賞 | 09:53:06 | Trackback(0) | Comments(2)
コメント
Scipion先生
ルーブルの記事、先生の背景知識の深さに感心しつつ、
大変興味深く読ませていただきました。
外国の古いもの、というのは土地の人が共有する文化・文脈に欠ける分、
外国人にはとっつきにくい、と思っていたのですが、
Scipion先生の文学的な見方に、なるほど、と思いました。
手(あるいは別のどこかのパーツ)に注目して、ストーリーを読み解く、というのは面白いですね。
今度プラド美術館に行ったとき試してみます。
(Scipion先生の文章にはとうてい及びませんが、旅路のゆうきちのほうにも、今回のプラド鑑賞記、書いてみようと思います...)

....などと書いていたら、早速スペイン各地の美術館めぐりが
したくなってきてしまいました。
2007-03-25 日 09:38:17 | URL | koharu [編集]
 hoharu さん、こんにちは。コメントして下さり、ありがとう。
 本当に、手は様々なことを語るものです。今回、ルーヴルを見学していて、あのカトリ-ヌ・ド・メディシスのトランジを鑑賞・観察していた時(実は今回これを見るために入りました)、手の表情に胸打たれたので、他のも気をつけてみようと思ったのです。
 美術品は、少し視点を変えただけで、別の面を見せてくれるものです。きっと、koharu さんのお好きな文楽もそうでしょうね。
 プラド美術館、楽しみにしております。
2007-03-26 月 14:53:12 | URL | スキピオ [編集]
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