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石田明生

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突然の訃報
 こんな歳になったのだな。つくづくそう思う。
 新年を迎えて、年賀状のやり取りを整理していたら、ふと返事をいただけなかった友がいることに気付いた。昨年の11月頃会っているとはいえ、律儀な彼から年賀状が来ないことは考えられない。喪中のはがきももらった記憶もないし・・・
 学校が始まり、同僚でもある彼が大学に来ているかどうか、調べてみると、病気のため休講とあった。やはり、病に伏せっているのか・・・
 お宅に電話を入れようか、どうしようかとぐずぐすしていたら、数時間前、突然の訃報をいただいた。
 30年以上付き合っていた彼の死は、鉈(なた)で殴られたような衝撃だった。というのも、僕は彼にいろいろとお世話になったということもあるが、それよりもなによりもショックだったのは、彼のようにほんとうに良い人がこの世からいなくなってしまったという思いからだ。ほんとうに良い人? 少々唐突な言い方だろうか。だがそうなのだ、彼は正しい人であり、まじめな人であった。が、ちょっといたずら心のある、愉快で楽しい人だった。僕の生涯のなかで、希有な存在だった。なぜなら,彼以外そういう意味での「良い人」などいないからだ。他の、僕を含めた生き残っている奴原は、どこかで意地悪すぎたり、まじめすぎたり、気が弱かったり,気が強すぎたり、要するにバランス感覚が欠如している。でも、彼は違う。彼は、毅然として、しっかりとバランスをとり(しかもそれが自然体だ)、他者との関係もスムーズにいく。もちろん、彼も人に苦言を呈する。どころか批判もする。しかし、人間関係のバランスは常に保たれている。彼を嫌った人がいただろうか。おそらくいなかっただろうと思う。しかし誤解しないでほしい。彼が嫌った人はいた。彼は、いやな奴は本当にいやな奴だと思っていた。が、そう思われていた人は、嫌われていたことを知らないかもしれない。彼が演技をしてるだって? とんでもない。先ほども書いたが、彼は常に自然体なのだ。

 Hさん、君のご冥福を心より,祈る。
 君を思い出すと、楽しい,愉快な思い出ばかり湧出してくる。君と一緒にいてただの一度もいやなことがなかった。そんな人は他に知らない。不思議な人だった。「だった?」いや、君はまだ生きている。不思議な人だね、Hさん。


※          ※          ※

 一昨日、Hさんの葬儀に参列した。悲しいお別れだった。僕と同い年といっても、遅い結婚だったので、お子様(二人のお嬢様)もまだ若い。ご長女が25歳くらいだろうか、次女のお嬢さんはまだ高校生だ。どんなにか辛い,悲しい思いをしていることか。さらに胸を打ったのは、葬儀のときにふと気付いたが、奥様、お嬢様のお隣に、Hさんのご母堂様が痛々しいご様子で立っておられたことだ。いくら彼が長男だったとはいえ、もう90歳になんなんとするご高齢の筈だ。大学の学長にまで出世したご自慢の息子の早すぎる死をどれほど酷い運命と思っておられることか。ご母堂様は、それでも気丈に孫娘たちと並んで、延々と続く参列者の群れに挨拶を返しておられた。
 大学との合同葬だったので、喪主は大学長と奥様だった。大学長は、Hさんがいかに大学の教育、研究に寄与したか、また学長としていかに大学改革に功績があったかを最後の挨拶とした。
 Hさんは、学長のときに大腸がん検診に引っかかり、ポリープ摘出手術をした。そのとき、彼は笑いながら「危うく死にかけたよ」と言っていた。もちろん手術は成功し、学長職という激務に戻った。任期を終えたあとも、たびたびあう機会があったが、病気の再発を思わせるものはなかった。それから数年が経ち、再発しないまま年輪を重ねるのだな、と思い始めた昨年、痩せたなといういやな印象をもった。それを彼に指摘する勇気はなかった。上のお嬢さんはまだお若いとはいえ、医者だから、彼の体のことで僕などが口を挟むことではないと遠慮したのだ。
 そういえば、会うたびにそのお嬢さんの話をしたものだ。僕は小さい頃会っただけだったので、とにかくかわいい女の子という思い出だけが残っていた。Hさんもこんな言い方は変なのだが、かわいい顔をしているし、奥様は美しい人だ。当然、お嬢さんもかわいい。そんなかわいい女の子が、医大に入り、インターンをし、という具合に、彼から成長の一歩一歩をうかがうのは楽しかった。「だんだん生意気になって、いやんなるよ」と言いながらも、そんな時の彼の顔は本当に幸せそうだった。

※          ※          ※

 Hさんのお若い奥様との出会い、そして結婚にいたる楽しかった思い出、今、何度もそのときのことを思い出し、情景を浮かべながら交わした会話の断片を反芻している。もう30年近く前になるだろうか。
 当時、ある大学でHさんと僕は同じ曜日・時限に授業を担当していた。講義が終わると、1・2時間、二人で一杯やって帰るのが常だった。ちょうどその頃僕は結婚したばかりだったので、話題は、つい結婚のことになりがちになった。その辺りのことになるといつも彼は煮え切らない。付き合っている人がいるのかいないのか、はっきりしない。どうなっているのだろう。そんなある年の暮れ、彼が「実を言うと」と切り出した。
 「実を言うと、今大学院ですごく(すっごくと強調していた)いい女子学生を教えているんだ。その学生は、フランス文学が専門ではなくて、音楽、それも声楽なんだけどね。うちの大学の学生ではなく、近くの音大に通っているんだ。ドビュッシーをやっているので、マラルメなどの象徴派の詩を勉強したいと聴講に来ているんだ。すごい美人で、上品で、あんな人お嫁にできたらいいんだけど・・・」
 「だめなの?」
 「まだ,個人的な話をしていないので、わかんないけど・・・」
 そのあとは冬休みになり、1月の数回の授業のあと、また僕たちは一杯やった。彼はさっそくその後を報告に及んだ。
 「実は、最後の講義のあと、二人で食事したんだ」と言う。
 「それはいいじゃないか。脈ありだね」と僕。
 すると彼は、ひどく落ち込んだ様子で、
 「いろいろ話を聞いたら、もう婚約者がいるんだって。田舎の家なので、もう前々から家を継ぐ関係で決まっているんだそうだ。ちっくしょう」
 二人で、残念会のような気分で、苦い酒を飲んだことは言うまでもない。
 こうして4月になり、新学期久々会って、二人で一杯やった。すると、彼はにこにこして異様にはしゃいでいるではないか。
 「Hさん、どうしたの、いいことあったの? もしかして・・・」
 「実は、この春休みの間に、たいへんなことになった。例の彼女、婚約者との結婚を破棄してしまったんだ。そして、僕と一緒になりたいって言うんだ」
 「それはすごい。でも、いろいろ大変だったろうね」
 「そうだったらしい。彼女、頑固だからもう決めたことは絶対だと言っている。お母さんとももめたらしいけど」
 「そんな美人の奥さん、よかったねえ。おめでとう」と、杯をかわす。
 「いやいや、あんなおかちめんこ」と、彼女をおとしめて言う。そういいながら、破顔一笑、本当に幸せそうだ。
 平林さんは、彼女がもう婚約者になったので、彼女への賛辞の言葉を二度と口にすることはなかった(それはとりもなおさず、彼女への強い愛情を意味していた)。その彼女、一大決心をしたらどこまでも行く、激しい情熱の持ち主だったのだろう。それとも、Hさんの強い思いが彼女の心を突き動かしたのか。いずれにしても、このロマン、お二人の合作に違いはない。

 葬儀の最後、奥様が挨拶を述べられた。嗚咽を交えての挨拶だった。「よい旦那様、よいお父様」だったことを強調されていた。研究業績や教育・大学改革の功績も一頭地を抜くものではあったが、奥様のお言葉はHさんの人間味をしみじみと感じさせてくれた。心からそう思う。幸いにして僕が序章を目撃したお二人のロマンは、豊かで幸せな家庭をお築きになる心温まるストーリーでもあったのだ。
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雑感 | 00:25:16 | Trackback(0) | Comments(0)
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