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石田明生

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「さん」と「氏」の違い
 一月前あたりから、いわゆる「ゴーストライター事件」で、日本中が沸き返っている。柏の通り魔的事件と違って、死傷者が出ていないので、凄惨な感じがしないのはそれはそれでよいのだが、佐村河内というひとりのヒーローを信じ、英雄視した少年・少女が心に傷を負ったとしたなら、笑い事ではすまない。
 この事件は、どなたもご存知のように、彼の曲のすべてを作曲していたとする新垣という音楽家が、ゴーストライターだったことを公の場で公表したことで、誰でも知ることとなった。それだけではない。全聾とされてきた佐村河内氏が実は全聾ではなかったというおまけまでついた。いや、おまけどころではなく、人によってはそれこそが事件の核心になるのかもしれない。
 ところで、一連の報道、とりわけテレビのニュースを見ていて、おもしろく感じるのは、キャスターやコメンテーターがゴーストライターである新垣という人を「新垣さん」と呼んでいるのに対し、全聾を装い天才作曲家を演じた佐村河内という人を「佐村河内氏」と呼んでいることだ。完全な犯罪者とすることができないので、「・・・容疑者」とは呼べないし、呼び付けにもできない。日本語というものは便利なものだ。「さん」も「氏」も、どちらも丁寧語であるから失礼にあたらないし、乱暴でもない。が、テレビのキャスターたちが「新垣さん」「佐村河内氏」というたびに、こちら側に伝わって来るのは、「さん」に対して一定の共感を示しつつ、「氏」と呼びながら劣等化しているという事実だ。


 「氏」という接尾辞は決して差別、侮蔑の単語ではない。その証拠に、なんとか細胞を発見した女性研究者を新聞・テレビでは「小保方氏」「小保方晴子氏」と呼んでいたからだ。しかし、割烹着姿の彼女を微笑ましい女性として呼ぶときには「小保方さん」という呼び方も混じっていたと思う。ただし今、彼女はねつ造問題にさらされているので、ここがおもしろいのだが、一斉にそして圧倒的に呼び名が「小保方氏」に傾いている。
 そう、「さん」という呼び方は、丁寧という働き以外に「親しみ」「身近」というコノテーション(一種の意味づけ)があるのだ。それに対し、「氏」は丁寧ではあるが寒々とした、「敬して遠ざける」ようなコノテーションがある。
 「謝罪会見で、佐村河内さんは、いちいち反論していましたが・・・」とコメンテーターが言ったらどうだろうか。「謝罪会見で、佐村河内氏は、いちいち反論していましたが・・・」と比べると、ニュアンスの違いは歴然としている。昨日のテレビ朝日のコメンテーターの共感は、完全に「新垣氏」のほうに傾いていたのと言うことができる。。
 最後に、この度の「ゴーストライター事件」は、今から14年ほど前になる「旧石器ねつ造事件」以来のこっけいな詐欺的事件(国民総騙され事件)となった(しかし、今回の事件はひとの心の優しさに付け入っているだけに悪質だ)。あの時の考古学者は藤村という人だったが、ねつ造が「ばれた」あとはいつも「藤村氏」と呼ばれていて、決して「藤村さん」でも「藤村」でもなかったと思う。その点、ノーベル賞を取った山中教授のように、りっぱな「教授」という称号を持っている人はいい。「教授」はプラス・マイナスどちらのコノテーションも持ちうるからだ。
 僕のように何も称号を持っていないものは、何かのときに「さん」になるか「氏」になるか、その何かにすべてかかっている(呼びつけにされたら、おしまいだ)。
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雑感 | 09:01:56 | Trackback(0) | Comments(0)
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