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石田明生

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ミュゼ・フラン=マソンヌリー(フリ-メ-ソン資料館)
 この度のパリ滞在の目的の一つは、パリの「キャデ(カデ)通り」(9区)にある「グラン・トリアン Grand Orient(大東社)」に行くこと、もちろん可能なら中を見学することでした。
 幸いなことに両方が実現しました。

定規.JPG
フリーメーソンのシンボル、「自由・平等・友愛」と「フリジア帽」(赤い色をしています)

 グラン・ラル-ス百科事典によると、「グラン・トリアン」は1848年の「二月革命」の標語「自由・平等・友愛」を自分達の標語とした、としています。
 確かに「二月革命」はグラン・トリアンにとって重要な転機だったようです。

マリアンヌ.jpg

グラン・トリアン(大東社)の象徴であり、自由と共和国の象徴「マリアンヌ」像、フリジア帽をかぶっています。

 フリーメーソンというと、日本ではなんとなくおどろおどろしく感じる人が多いようですが(先般大ヒットした小説もそんなふうに扱っていました)、どちらかと言うとお金持ちの友愛と互助精神の団体、という感じです。日本人では、西周が最初のメーソンだったそうです。


 ナポレオン・ボナパルト自身はフリ-メ-ソンだったことはなかったようですが、彼の兄、スペイン王ジョゼフはそうでした。また、妹カロリ-ヌの夫でナポリ王のジョアシャン・ミュラもメーソンでした。もっともミュラもそうですが、ナポレオンのまわりの元帥・将軍たちにメーソンはたくさんいたようです。

元帥たち.JPG
大ナポレオンを取り巻く元帥たち<
25人中17人がメーソンだったと書かれている

 ナポレオンはフリ-・メ-ソンを利用しようとしたきらいがあるせいか、軍人だけではなく、彼を取り巻く文人にもメーソンは多数いました。たとえば、スタンダールの親戚で彼の保護者的な存在のダリュ伯もそうでした。そのためでしょう、スタンダールも1806年、23歳で入会しています。といっても、彼がメーソンとしての活動を積極的にしていたようには思えません。しかし、ミラノ滞在時など、イタリアではカルボナリと接触したと思われますし(マッツィ-ニをはじめ、カルボナリにメースンは多かった)、何よりもミラノで食客まがいのことができたのはメーソン関係を頼ってのことかも知れません(パリでも同様)。
 ミュラはナポレオン失脚後、再びナポリに戻りましたが、復位はならず、逆に逮捕、銃殺されてしまいます。その時、息子のリュシアン・ミュラはアメリカに亡命しましたが、のち、従兄のルイ・ナポレオンがフランスで権力を握ると、再びフランスに戻ってきて、第二帝政の要職につきます。
 1852年、このリュシアン・ミュラが、キャデ通りにあったリシュリュ-元帥邸を購入し、「大東社」の本部としました。
 次の写真が、その本部の建物です。

本部.jpg
「キャデ通り」のグラン・トリアン(大東社)の建物

 この中でさまざまなメーソンの催しが行なわれてきましたし、現在もされていると思いますが、一階(フランスではRC・・・地上階)には、ミュゼ(資料館)があり、誰でも見学できます。ただし、入館料は2ユーロでした。火曜から土曜日は午後2時半からです。月曜日はガイド付き、日曜は閉館しています。

前掛け.JPG
儀式に欠かせない「前掛け」

 フリーメーソンはもともとは中世に「往来がフリーとなっていた石工組合」のことで、そういうのをフランス語で Franc-maconnerie operative と言います(文字化けするのでアクサン記号は省略)。
 対して、1717年にイギリスで誕生した「象徴フリーメーソン」は Franc-maconnerie specurative(思弁的フリーメーソン)と言われます。メンバーは石工の仕事とはなんの関係もありませんが、儀式の時にかつての石工の使っていたものを象徴的に使います。その代表的なものが「前掛け」です。
 前掛けには、必ず「定規とコンパス」が図案化して入ります。

前掛け・目.JPG

前掛け、中央に「神の目」


 この前掛けには、いわゆる「神の目」が描かれています。これは、別名「万物を見通す目」とも言い、フリーメーソンの重要な象徴で、(たぶん)必ず中央にあります。おもしろいことに、この「神の目」は、フランス革命の最大の成果である「人権宣言」の碑文の絵にもあります。

人権.jpg
人権宣言(カルナヴァレ美術館所蔵)

神の目.JPG
人権宣言拡大、「神の目」


 この人権宣言の作成に関わったと思われる、ラファイエットもフィリップ・エガリテ(オルレアン公)もミラボー伯もフリーメーソンでしたので、その影響が出ているのでしょう。ちなみに、ラファイエットはワシントンに「前掛け」を送っています。
 おそらくこの「神」は、キリスト教的な神ではなく、18世紀の啓蒙思想から生まれた理神論的な神と思われます。

マリアンヌ立像.jpg
マリアンヌ像

 下に、「マリアンヌが共和国のシンボルに決定的になったのは、1848年である」と書かれています。1848年の二月革命は先程も言ったように、フランス、ひいてはヨーロッパはもちろん、大東社にとっても重大な出来事でした。
 特に大東社は、他国のフリメーソン・ロッジとは一線を画するように、なったと思われます。

48年.JPG

48年の共和主義者と社会主義者たち

 《1848年、国会議員のなかでメーソンは多くを数えるようになった。以下の人物が知られている。ピエール・ルルー、プルードン、アルマン・バルベス、ヴィクトール・コンシデラン、フェリックス・ピヤ》このように書かれています。

ボナパルト.JPG
「ボナパルト」の郎党たちの集合

 前にも書きましたが、リュシアン・ミュラがここの建物を買い、大東社の本部としてから、ここにボナパルト一族とでも言うのでしょうか、多く集まります。この中に、エジプトのヒエログリフを解読したシャンポリオンの兄弟の名もあるのがおもしろい。

 最後にジュール・フェリーについて言及しましょう。彼は1880年頃から、内閣を主導して、学校から、宗教色を一掃しようとします。つまり、学校から、神父や尼僧や十字架を追放するのです(フェリ-法・1882年)。カトリック対世俗主義はもともとは大革命の時までさかのぼります。それから、教権主義(カトリック派)と反教権派(社会主義者、共和派、フリーメーソン)の闘いはほぼ百年間続くことになります。つまり、フェリーはその闘いに決着をつけた、と言っても過言ではないでしょう(その決着については、別の折り《パリの風景》に書きます。ご覧下さい)。
 ちなみに、フリーメーソンだったル-ジェ・ド・リ-ルが作曲した「ラ・マルセイエーズ」が国家となったのは、1779年でした。
つまり80年代から、反教権主義派、共和派が精力を持つようになってきた、いうわけです。そして、それはとりもなおさず、フリーメーソンの勢力拡大(もし、メーソンに勢力というものがあるならばですが)につながっています。ジュール・フェリーがフリーメーソンだったことは、言語学者のリットレがそうであったのと同様によく知られています。また、帝政末期から80年代にかけてもっとも人気のあった政治家ガンベッタもフリーメーソンでした。彼の写真もあったのですが、ぼけてしまいましたので、掲載はやめておきます。

フェリー.jpg

ジュール・フェリー


 ここの係員の方と話す機会がありました。なにしろ見学者は僕一人でしたから。
 すると、やはり嬉しいのでしょうね。ナポレオンの元帥たちの中でメーソンはいかに多かったか、アメリカの歴代大統領は「ほとんど」メーソンだったとか、話して、僕の驚く顔を見て楽しんでいました。僕の記憶ではアメリカの大統領は確か17人だったはずですが。もっともそれでも「ほとんど」といってもかまいませんかね。
 マリアンヌのことを聞くと、彼の口ぶりでは、彼女はもう最初から「彼らの」マリアンヌのようでした。
 確かに彼らが自負するように、フランスの近代史で、大東社・フリーメーソンを無視することはできないのかも知れません。
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パリ旅行記(2007年) | 16:51:10 | Trackback(0) | Comments(5)
コメント
フランス革命期のカリカチュアが載っている新書を、前に読んだことがあります。なんかこの記事を読んでいると、そのときのことを思い出します。特にマリアンヌのフリジア帽が印象的ですね。
2007-04-02 月 21:48:03 | URL | titanx2 [編集]
 titanx2 さん、こんにちは。みなさんはきっと「カルナヴァレ美術館」に行かなかったでしょうが、ここで革命関係の絵画、彫刻、モニュメントが豊富に展示されています。実は、みんなと歩いた時、その近くを通ったのですが(ヴォージュ広場のそば)・・・
 入場は無料ですので、次の機会にご覧下さい。ここにマリアンヌ像の絵があります。もっとも、「共和国広場」に巨大なマリアンヌが立っていますが。
いずれ、ここで色々なマリアンヌを紹介するつもりです。
 大東社・フリー・メーソンはこのマリアンヌを象徴としています。
 今、19世紀の反教権主義(大東社がポジティヴな動きをした)に関心がありますので・・・
2007-04-03 火 12:38:40 | URL | スキピオ [編集]
ひろこさん、初めまして。遊びに来て下さり、ありがとう。僕のがお役にたつかどうかわかりませんが、どうぞよろしく。がんばってください。
2007-04-05 木 23:20:22 | URL | スキピオ [編集]
うわー、カルナヴァレ美術館、行きたかったなぁ・・・
今度は絶対に見逃さないようにします!
2007-04-07 土 22:47:11 | URL | titanx2 [編集]
titanx2 さん、こんばんは。
あのヴォージュ広場で、「ヴィクトール・ユゴーの家」に行きましたね。カルナヴァレ美術館へはその対角線の反対側から行きます。あの時はもう時間が遅かったので、閉館していました。
無料ですから、今度は、じっくりと何度も見に行って下さい。かなり大きいので一日では見切りません。
さて、いよいよ新学期ですね、お互い頑張りましょう。
2007-04-09 月 23:41:51 | URL | スキピオ [編集]
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