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石田明生

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世界遺産ル・ピュイ Le Puy 日帰り旅行
 クレルモン=フェラン発9時49分発のter(おしゃれなローカル列車)に乗り、ル・ピュイにちょうど12時に着きました。帰りのバス(帰りはどういうわけか、途中までバスでArvantという駅でterに乗り換えます。)は、ル・ピュイ駅発19時10分、ル・ピュイ散策に使える時間は約7時間、正味6時間というところでしょうか。まずは、インフォメーションを目指し、街の地図をもらい、何はともあれ昼食です。
 下調べしておいたレストラン Brasserie du palais にまっしぐら、席に着くとル・ピュイの名物料理を注文しました。次の写真がそれです。

saucisse lentilles        Tripoux d'Auvergne
妻は左の「レンズ豆とソーセージ」12€、僕は「Tripoux d'Auvergne(羊の胃袋に詰めたソーセージ)」12.9€

Brasserie du palais        冷たいロゼワインにしました
大衆食堂といった感の店内風景と併せて飲んだロゼワイン

 フランスに旅行して、いろいろな腸詰めを食べてきましたが、羊の胃袋に詰めたのはもちろん初めてです。美味そのものというよりも、胃袋をよくぞ柔らかく、煮込んだものと感心してしまいました。レンズ豆はこの地方の名産です。
 ところで、眼鏡などのレンズは、このレンズ豆に似ているので「レンズ」と命名されたとか・・・


 昼食後はまず、旧市街のラファエル通りを北に進み、大聖堂へと向かいます。ル・ピュイは盆地のような地形をなしていて、いくつかの突起、岩山が突き出ています。その岩山に、大聖堂や礼拝堂、モニュメントがあり、美しい景観を形作っています。ですから、上り坂(下り坂も同数・・・もちろん)と階段がやたら多くて、年寄りにはひどく辛いのですが、そこは一念発起、がんばらねば・・・
 最初に向かうのは、一番の難所、針のような岩山の頂上に立てられたその名も「サン=ミシェル・デギュイユ礼拝堂」です「デギュイユ」とは「針山の」の意味と思われます)。大聖堂の入り口まで登りましたが、しかたありません、そこから下り坂を北に降りて、屹立している岩山を目指します。山の入り口で拝観料(珍しいことにここは有料でした。維持管理が大変なのでしょう)を払って、狭い階段をひたすら登ります。途中なんども息継ぎのために止まりましたが、それでもなんとか登ることができました。

岩山サン=ミシェル教会
この礼拝堂は961年に建立されました。千年以上ものあいだ、ここから出発する巡礼者たちを見守っていたのですね。


岩山サン=ミシェル教会内陣
礼拝所 フランスの守護神でもある聖ミカエルが今にも怪獣を突き刺そうとしています。


 休息をかねて、ゆっくりとシャペルを見学したあと、いよいよ向かうは大聖堂、ノートル=ダム・ド・ラノンシアシオン大聖堂 Cathédrale Notre-Dame-de-l'Annonciation.(受胎告知の聖母)です。

フランスの聖母マリアと大聖堂
礼拝堂から見た「ノートル=ダム・ド・フランス」と大聖堂の塔とドーム

 日本でいえば参道のような「ターブル通り rue des Tables」を登る詰めるとそのまま大聖堂の入り口になります。
 ところで、大聖堂にとって一番大切なメインストリート、入り口であり、ファサードに至るまさに参道の名前が「ターブル通り」とは変な名前です。「ターブル」とは英語でいえば「テーブル」です。要するに「食卓通り」ということになり、巡礼路の出発点としてはいささか重みがありません。
 ところが、フランスのwikiを読んでいたら、この「ターブル」が大聖堂の由来と関係していることがわかりました。
 堂内を見学していると、薄暗い礼拝堂がありました。中に入れませんでしたので、のぞきますと、素朴そうな聖母子像が見えます。さっそくカメラを構えますと、聖母子像の手前に真っ黒な平たい石があります。

奇跡の石 ターブル
思ったよりもずいぶんと大きいものでした。


 この石こそ、「熱病の石」と言われる奇跡の石です。言い伝えによりますと、たちの悪い熱に苦しんでいた女やもめのもとに聖母が現れて、この石の上に横たわるように言います。女は、言われたままに石の上に横になると、熱がなくなり病が癒えたとか・・・
 また、この町の最初の司教ジョルジュ・ヴーレイ Georges du Velay はその話を聞いて石を見ると、7月というのに雪がつもっていました。そこに一頭のシカが現れて、聖域を描いたと言われています。彼はそこに聖堂を建てることを決定しましたが、すぐに建てられないので、枯れた枝の垣根でその聖域を囲みましたが、その枯れた垣根が瞬く間に、花を咲かせたと言います。
 さて、発端となった石は、先史時代のドルメンのテーブルだったのではないかと言われています。「ターブル通り」の名の由来は長い人の歴史でもあったのです。
 しかしこの大聖堂の圧巻はなんと言っても、聖壇の中央に位置している聖母子像でしょう。優しさ、素朴さを兼ね備えているだけではなく、優美さというよりも可愛くすらあるこの像は黒い聖母子なのです。

黒い聖母子像 ル・ピュイ
おなかから首を出しているイエスが可愛い黒い聖母子像

 しかし、残念ながらこの聖母子像は、もとからあった黒い聖母ではないらしい。馬杉氏に依ると(講談社現代新書『黒い聖母と悪魔の謎』)、18世紀末の大革命の折り破壊されてしまったそうです。が、そのデッサンが残っていて、その聖母は間違いなく顔が黒くなっています。馬杉氏は、聖王ルイがエジプトから持ち帰ったという説や、元はイシス神だったという説を挙げていますが、説の脆弱性は免れないような気がします。。それよりもなによりも、破壊されたあとのこの聖母子像についての記述が全くありません。再びどうしてこのような黒い聖母子像を安置したのでしょうか、作者、もしくは寄進者は誰でしょう。
 氏は、黒い聖母像信仰をケルトの時代の巨石崇拝や聖なる水崇拝と結びつけようとしていますが、歯切れの悪さは否めません。
 これは惨めな頭脳の想像ですが、中世の人たちはありがたい真っ黒な熱病の石の一部を使って聖母像を造ったのかもしれません。それなら伝説と聖母信仰は一体化します。いずれにしても、謎は深まるばかりです。
 謎めいた美しさをたたえた神秘的な町ル・ピュイは、サンチャゴ・デ・コンポステーラの出発地点としてなによりもふさわしく思われます。
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2014年、フランス旅行 | 17:25:21 | Trackback(0) | Comments(0)
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