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石田明生

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Je suis Charlie の意味
 新聞社を狙ったテロのあと、パリを中心に «Je suis Charlie»の合唱がわき起こった。あれだけの人数だから、その叫び声の内側が全部同じだったとは思わないが、大切なことは、あのとき«Je suis Charlie hebdo»と叫んだのではないことだ。Je suis Chrlie とは、「我々は犠牲者の側につく」「銃ではなくペンを持つ側につく」「やるならやってみろ」との思いで叫んでいたのだと思う。つまり、あの«Charlie hebdo»という新聞そのものに共感してのことだったかどうかあやしい。というのは、その新聞を嫌いな人たちも、その新聞を開いたことも見たこともない人たちも、あの群衆の中に混じってていた筈だからだ。いや、ほとんどの人がそうだったのだろう。だから、シンボルとしてペンや鉛筆を掲げていたのだ。
 あらためて、Charlie hebdo の風刺画を見て、多数の人が戸惑っているに違いない。時には、えげつないのもあるからだ。
 最近、Charlie hebdo のような風刺画の出版物はヘイトスピーチと同じではないかという主張を耳にして、大いに驚いている。ヘイトスピーチの定義はと言われるとそれほど考えたことがなかったので困るが、wiki によると、「人種、宗教、性的指向、性別などの要素に対する差別・偏見に基づく憎悪(ヘイト)を表す表現行為のこと」とある。


 とりわけ最近耳にするのは、東京は大久保辺りでのヘイトスピーチのことだ。噂によると街宣車に乗って現れた人物が、在日朝鮮人や中国人に対して差別的発言をがなり立てているらしい。そういったことは、はたして風刺画の出版と同じだろうか。もしもその出版物がある特定の宗教、人種などをターゲットに憎悪を煽っているなら、先の wiki のヘイトスピーチの定義に当てはまるだろう。だが、Charlie hebdo の風刺画を見ると、宗教に関してはキリスト教もイスラム教もとりあげているし、権力者に対しても様々な人物が対象となっている。しかし、全部見たわけではないので公平な出版物とは断定できないが、少なくとも、イスラム教だけを狙い撃ちにしているわけでないことは確かだ。今、それに関する風刺が多いのは、世界がイスラム過激派の話題に明け暮れているからと思われる。
注)フランスは、フランス革命を通して宗教(当時はカトリック)を排斥し、距離を置いてきた。憲法で、フランス共和国の世俗主義(宗教を政治と教育の場に持ち込まない)を歌い上げているのはそのためだ。概してインテリや文化人は、宗教的権威や凝り固まった信者を揶揄する傾向にある。

 街宣車等で乗り付けて、ヘイトスピーチをがなり立てるのと、キオスクや書店に並べられる書物や雑誌とは本質的に意味が異なるのは明らかだ。読者は、嫌な本や気に食わない雑誌は手に取らなければよい。どころか、そのような雑誌や本をおいてある書店やキオスクに立ち寄らなければよい。たいして、街宣車でがなり立てられるのは、そこで生活をせざるを得ない人にとっては、堪え難い苦痛となるだろう。耳に栓をして暮らすわけにいかない。「差別的発言」受容を強制されてしまうことになるからだ。
 多分、どちらも昔からあったに違いない。少なくとも風刺に関しては、「風刺詩」「風刺文学」(satire)として、フランス文学の重要なジャンルのひとつだ。時の権力者や教会などに対して、ぴりっと辛いエスプリの利いた文句を書いたり、絵にしたりして、庶民はうっぷんを晴らしていたのだ。また、ペストなどのような疫病がはやったりすると、あるマイノリティーの集団にヘイトスピーチをし、差別して、暴力を振るってきたのも歴史の真実だ。願わくば、後者に関しては人がもっと賢くなって、この世から消えてほしい。前者については、気持ちよい笑いを振りまいてほしい。権力も財力もない庶民は、権力と財力をバックに威張っているような人が風刺されれば、ほんの一瞬でもカタルシスを感じるものだから。
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オピニオン | 11:46:15 | Trackback(0) | Comments(0)
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