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石田明生

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パリ最大の墓地、ペール・ラシェーズを歩く(1)。
 ペール=ラシェーズ墓地は広大です。この墓地をすべて見て回るには、どのくらいの日数を必要とするでしょうか。
 そして、どれだけの数の著名人が眠っているでしょうか。手元のミシュラン・ガイドブック(緑)には、51人の墓が地図で紹介されています。

1. ショパン(1810-49)

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【フレデリック・ショパンの墓】

 ショパンは、言うまでもないでしょうが、最も有名なピアニストで作曲家です。ポーランド人だった彼は、パリで生き、恋をし、死にました。そして、今もパリで眠っています。


2. バルザック(1799-1850)

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【小説家バルザックの墓】

 オノレ・ド・バルザックは、95編の小説を統合した『人間喜劇』を世に問いました。この膨大な小説の森の中に『ゴリオ爺さん』『谷間の百合』『ウージェニー・グランデ』『従姉ベット』などなどの樹木があります。みな、傑作ぞろいで、その知識の量たるや、昨今はやった『なんとかコード』の比ではありません。
 コンピューターも電気もない時代に、手書きで、どうしてこれほど膨大な小説が書けたのでしょう。しかも51歳という若さでこの世を去ったのです。

Balzac.JPG

 彼は晩年、長年の思いの人と結婚することができました。ハンスカ夫人と言います。ロシアの富豪の妻でしたが、その富豪が亡くなり、やっと思いがかなったのです。
 しかし、そのときには彼の寿命はほとんどつきていました。まさに「人間喜劇」でした。

 この春、「バルザックの家」(彼が生前住んでいた家が彼の資料館になっています。入場無料)に久しぶりに行ってきました(16区)。

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【バルザックの家の庭】

 彼の家を見学した後、庭を歩いていましたら、高校生くらいの女の子が植え込みの中でうずくまって何かをしているのが見えました。しかも、その少女は日系のひとなのでしょうか、日本人に見えます。とても美しい少女でした。
 好奇心につられて思わず、「マドモワゼル・・・」と、声をかけてしまいました。「何を・・・」と言いかけますと。自分の行動が奇異に見られるのを承知していたのでしょう。にこりと笑って、
 「ああ、これを埋葬したいと思いまして」と言いながら、真っ白な犬の毛のふさを見せてくれました。
 そういえば、彼女は真っ先に受付のところに行って何かを説明していたな、と思い出し、納得しました。
 そうです。彼女は愛犬の形見をバルザックの家の庭に埋めていたのでした。愛犬の名前は、彼の作品の登場人物名だったのかも知れません。
 とても気持ちよい一日となりました。

3. アベラール(1079-1142)とエロイーズ(1101-1164)

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【アベラールとエロイーズ】

 二人は、遠い中世の時代に大恋愛をし、現代もなお、熱愛の代名詞となっている恋人同士です。

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アベラールは当時並ぶものなき哲学者・神学者でした。
 エロイーズは学問好きな少女でした。彼女は、アベラールの上司にあたる教会参事の叔父に頼み、アベラールから直接学問を教わるようになりました。
 アベラールは才色兼備のエロイーズに引かれ、エロイーズは学問において図抜けた秀才に恋心を抱きました。
 二人は秘密の結婚をし、子供までもうけましたが、権力者の叔父は、アベラールを襲い、彼の男性器を切り落としてしまいます。不能となった男はただひたすら学問の道に、修道院に閉じ込められた女はひたすら信仰の道に励みました。
 分かれた後の往復書簡は、プラトニックな恋の最高傑作と言われています。
 アベラールとエロイーズと言えば、家庭教師と教え子の恋を意味します。18世紀にジャン=ジャック・ルソーが『新エロイーズ』という小説を書きました。もちろん、中世の大恋愛を念頭に置いてのタイトルです。

4. オスカー・ワイルド(1856-1900)

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【オスカー・ワイルドの墓】

 ワイルドはアイルランド出身のイギリスの作家でしたが、ホモセクシヤルのために、告発され、2年間の強制労働の判決を受けました。こうなるとロンドンは彼にとって、安住の地ではなくなりました。晩年、彼はパリに移り、静かに世を去りました。
 人気者の彼の墓にはいつもファンがお参りに来ています。と、書きましたが、もしかすると彼の風変わりな墓を見に来ているのかも知れません。
 確かに、この墓は「ペール=ラシェーズ墓地」でもっともおもしろい墓かも知れません。

 ワイルドの作品中最も有名なのが「幸福王子」でしょうか。または、劇作「サロメ」でしょうか。
 彼は美貌と、才能と、洗練さとで群を抜いていました。そんな自分の密かな苦しみを書いたのが、耽美的な作品『ドリアン・グレイの肖像』です。現実の自分と肖像画の自分との年齢の乖離が恐ろしいまでの筆致(文体)で描かれています。
 
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 写真でご覧のように、彼の全裸の姿が墓に彫られています。噂によりますと、これを見て憤慨したPTAのおばさんのようにお堅いご婦人が、手にしていた傘で、ワイルドの大切な部分を叩き折ってしまったとか。確かに、よく見ると折れています。

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 世界中からやって来る、熱烈なワイルドファンは本当にすごい。白い墓石が、キスマークだらけになっています。どんなひとがキスしているのでしょう。もしかすると女性ではなくて・・・

5. ギョーム・アポリネール(1880-1918)

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【詩人アポリネールの墓】

ミラボー橋の下セーヌは流れ
二人の恋が
なぜこうも思い出されるのか
喜びはいつも苦しみの後に来たものだ

夜よ来い 時鐘(とき)よ打て
日々は去り行き 私は残る 「ミラボー橋」
(安藤元雄訳)


 女流画家、マリー・ローランサンとの恋に破れた詩人に残されたものは?

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 アポリネールはピカソ、ドラン、ヴラマンク、税官吏ルソーたちとともに新たな芸術運動を指導し、前衛的な詩を次々と発表します。第一次大戦で頭に負傷し、38歳で世を去りました。

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 アポリネールは、詩句を連ねてものの形を作った。これをカリグラムと言います。このハートを形作る詩句は、MON COEUR PAREIL A UNE FLAMME RENVERSEE と読めます。「我が心 逆しまの炎にも似て」という意味でしょうか。

6. コレット(1873-1954)

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【小説家コレットの墓】

 ガブリエル・コレットは「クロディーヌもの」で人気を博し、次々と上流社会の官能的なものがたりを書きました。『青い麦』『シェリー』など映画化もされています。

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【踊り子のコレット】(絵はがきより)

 彼女は踊り子でもありました。
 結婚と離婚、彼女の人生は多様性に富んでいました。


7. エディット・ピアフ(1915-63)

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【歌手エディット・ピアフの墓】

『愛の讃歌』『バラ色の人生』など、彼女の歌を知らないひとはおそらくいないかも知れません。小さな体から生まれ出る彼女の声は、その迫力で世界を震撼させました。
 彼女はパリの20区、赤貧の中で生まれました(僕の2006年9月2日の記事「パリの20区・・・ベルヴィルからメニルモンタン」を参照)。そのためかも知れません。彼女はいつでも、気さくで、磊落で、情にもろくて、めげずに恋をし・・・ようするに庶民の歌手でした。彼女にとって、知性や気取りなど歯牙にもかけません。大切なのはただただ心・情です。
 残念ながら、日本では彼女のその庶民性(上品とは対極のもの)がよくわかっておりません。
 『愛の讃歌』は、彼女がボクサーの世界チャンピオン、マルセル・セルダンを理屈抜きで愛して愛して愛し抜いた末に生まれた名曲なのです。結果は?
 恋人の飛行機事故死と言う、人知を超えた不幸でした。

 と、ここまで書いて、あらためてピアフの墓を見ると、墓の中央に十字架があることに気付きました。花がなければ、キリストの磔刑された姿が見られることでしょう。ピアフは自由奔放に生きていましたが、クリスチャンであることをやめなかったのでしょう。そう言えば彼女は『私の神様 Mon Dieu』という歌を歌っています(「神様、私の恋人を返してください。一日だけでも・・・」)。

 このようにいろいろな著名人の墓を見学していると、今まであまり意識していませんでしたが・・・というのは信仰心の厚い作家、芸術家、音楽家が少なかったせいか、ないのが当たり前と思っていました・・・十字架があるかどうかという目安もおもしろい墓の見方と思われます。今回は、アベラール(カトリックに決まっています)は別として、ピアフ以外の墓には十字架はありません(アベラールのもどこにあるかわかりませんが)。

8. シモーヌ・シニョレ(1921-85)とイヴ・モンタン(1921-91)

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【シモーヌ・シニョレとイヴ・モンタンの墓】

 ゾラの小説『テレーズ・ラカン』で夫殺しのテレーズを迫真の演技で演じたシニョレは、フランスで最高、最大の女優と言っても、言い過ぎではないでしょう(「世界で」と言ってもいいのですが・・・)。
 彼女が優れているのは、演じた役を引きずらないことでしょうか。存在感はありますが、他の映画にまでその影響がありません。ですから、他の作品では全く別のシニョレがいるのです。
 オードリー・ヘップバーンのような女優は、どんな映画でも彼女のイメージを払拭できません。存在が強すぎるのです。まあ、ハリウッドは役者をそう育てて、人気のある限りその役者に合わせて映画作りをしますから、それでいいのでしょうが(それでは俳優の成長は望めません。オードリーがいい例です)。
 そう言う意味ではイヴ・モンタンもシニョレに近かったかも知れません。彼のほうが器用でしたが(演技と歌のうまさは群を抜いています。少し器用すぎた嫌いがありました)。
 ふたりは1951年に結婚しました。ただし、モンタンほど「もてた」ひとはいなかったでしょう。シニョレはそれでひどく苦しんだということです(マリリン・モンローのときは自殺未遂までしました)。 それでも、85年にシニョレが亡くなるまで夫婦は添い遂げました。
 ひとりとなった、モンタンはその後間もなく若い女性と再婚し、子供をもうけました。日本でも話題になったニュースです。
 おもしろいのはモンタンの没後、一人の女性が彼の子供だと主張してきたことです。遺産相続問題が一挙に混迷を深めました。第一にその女性が本当にモンタンの子供なのか?
 新聞には「もてる男モンタンは死後でさえも安眠できない」こんなような見出しがのったと思います。つまり、この問題の決着はDNA鑑定に持ち込まれたのです。そのために元の奥さんシモーヌの隣で永眠しようとしたモンタンは掘り起こされ、調べられました。
 結果ですか?
 確か、彼女はモンタンの子ではないことで決着したと思います。
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墓地探訪(パリ) | 21:38:29 | Trackback(0) | Comments(2)
コメント
ミラボー橋、短期留学中のLABOの講義でやりましたw
日本に帰ってきて、改めて読んで感動して、今度ブログにupしようと思っていますwww

にしても、パリの墓地は有名人ばかりいますね。
いつも思うのは、どれくらいの数入るのか。日本と違い装飾が派手ですからねw
2007-05-07 月 10:16:40 | URL | titanx2 [編集]
titanx2 さん、こんにちは。いよいよ連休も明けましたね。大学も本格的になります。がんばりましょう。
ペール・ラシェーズ墓地はまだまだ続きます。では。
2007-05-08 火 09:32:32 | URL | スキピオ [編集]
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