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石田明生

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悲憤の果て
 日本中、いや世界中が固唾を呑んで、後藤さんの無事を祈っていたのだが、それもむなしく殺害されてしまった。この殺人はひとつ後藤さんだけの問題ではない。以前からそうだったが、かれらの蛮行は人類への挑戦、地球の生命に対する軽蔑以外の何ものでもない。そのことをまた新たに見せつけてくれたわけだ。
 もちろん、イスラームの教義などとはおよそ関係のないものだ。どんな宗教ともどんな哲学とも隔絶された、虚無的な心の陥穽のようなものだ。あのような人殺しと恐怖で、本当に国ができると考えているのだろうか。

 かつてフランス大革命のとき、かのロベスピエールは恐怖(terreur)で、難局を乗り切ろうとした。

" la vertu sans laquelle la terreur est funeste, la terreur sans laquelle la vertu est impuissante".
「美徳がなければ恐怖は忌まわしいものであり、恐怖がなければ美徳は無力である」(ロベスピエール)

 恐怖政治の行く末は、歴史が示している。彼はまたたくまに失脚して、自らもギロチンの露となった。それにしても彼の恐怖政治は、彼自身廉潔の士であるように、ひとつの筋を通そうとしていた。あのISILのような、拉致、人質、自爆テロ、脅迫等々のような卑劣なまねをしたわけではなかった。彼を失脚させたのは、清廉すぎたことだ。テルミドールの反動を引き起こして、ロベスピエール派の首をはねたバラスやフーシェなどのような連中は、金銭や快楽に目ざとく、ロベスピエールに告発されるのを恐れたからだ。
 とはいえ、恐怖を持ってしては何人も民心を安んじることは絶対にできない。そのことをロベスピエールの恐怖(テルール)は証明している。ちなみに、これが「テロ」の語源だ。
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雑感 | 15:52:44 | Trackback(0) | Comments(0)
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