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パリ最大の墓地ペール・ラシェーズを歩く(2)。
 何日通えば、ペール・ラシェーズ墓地を完全制覇できるのでしょう?パリに来ると墓地の比較的近くに滞在しますので、単なる散歩も含めて10回くらいは歩いているでしょうか。ペール・ラシェーズは僕にとってお気に入りの散歩コースなのです。

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【墓地の正門】

 ルイ14世の聴罪司祭だったラシェーズ神父の名前から、墓地名はついています。
 樹木と坂道、そして石畳の散歩道、ここはまるで歴史を巡る大庭園のようです。そのために、観光地としても有名で、美術館が休みの火曜日や祭日はたくさんのツーリストでにぎわいます。

犬と少年
【犬と少年】

 この墓地を散歩して帰るたびに、まるで小公子のような、この「犬と少年」のお墓を見ます。ご両親はどんな思いでこんな立派な墓を建てたのでしょう。不思議な気持ちになります。
 大人の死も、子供の死も、人の死はどれも同じなのですが・・・


1. アメデオ・モジリアーニ(1884-1920)

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【画家モジリアーニの墓】

 アメデオ・モジリアーニがパリにやってきたのは1906年のことでした。まずは、当時の画家志望の若者の例にもれずにモンマルトルに、ついで、3年後モンパルナスに移り住みました。
 肺結核、アルコール中毒、麻薬依存症、困難な青春時代を彼はこのモンパルナスの街で過ごしました。
 この間の悲劇的な生涯は、映画『モンパルナスの灯』(監督ジャック・ベッケル)に余すことなく描かれています。おそらくモジリアーニを演じたジェラール・フィリップの最高傑作でしょう。彼は奇しくも、この映画を撮った一年後、「モジ」とほぼ同様の37歳の短い生涯を終えます。


2. 作曲家フランソワ・ジョゼフ・ゴセック(1734-1829)

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【ゴセックの墓】

 ゴセックは有名な『ガボツト』を作曲した音楽家です。
 彼はロココ時代、マリ=アントワネット時代、大革命時代(彼はジャコバン派として活躍した)、ナポレオン時代と時代の移り変わりを常に第一線で仕事をし、生き抜いてきました。
 七月革命直前の1829年に95歳の生涯を閉じます。


3. ジャン・フランソワ・シャンポリオン(1790-1832)

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【シャンポリオンの墓】

 シャンポリオンはエジプト学者でした。彼はとりわけ言語能力に優れていて、当時大競争になっていた、ロゼッタ石の碑文(ヒエログリフ)解読に最初に成功します。こうして、エジプト史の神秘のベールがはぎとられることになりました。
 ロゼッタ石はもともとはナポレオンのエジプト遠征がもたらした果実でしたが、のち、イギリス軍により接収されたためにフランスには拓本しかありませんでした。もちろん彼はその写しを読んだのです。
 彼はルーヴルのエジプト部門の初代責任者となりました。
 彼の墓がオベリスクになっているのは当然でしょう。

4. マルセル・プルースト(1871-1922)

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【小説家マルセル・プルーストの墓】

 20世紀最大の作家は誰か?
 その答えは、もちろんさまざまとなることでしょう。でも、必ず候補に挙がるのはジェームズ・ジョイスとプルーストであることは疑いを入れません。
 彼の長大な作品『失われた時を求めて』は、文庫本13冊です。マドレーヌのお菓子が紅茶とともに口の中に広がり、そのまま過去がよみがえる。19世紀末から20世紀初頭の上流社会が鮮やかに描かれます。
 「カルナヴァレ美術館」に彼の部屋(有名なコルクの壁です)が復元され、展示されています。

5. ネイ元帥(1769-1815)

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【ネー元帥の墓】

 ナポレオンを取り巻く猛将の中でもひときわ光彩を放つのは、モスクワ大公の称号を与えられたミシェル・ネイ(1769-1815)でしょう。幾多の戦いで勝利しました。
 ナポレオン失脚後、彼はブルボンのルイ18世に仕えることになりました。ところが、彼にとって運命的なニュースが舞い込みます。ナポレオンがエルバ島を脱出して、パリに迫っているというのです。彼は国王ルイに「ナポレオンの首にロープをつけて戻って来る」と約束し、大軍を率いて、ナポレオンに対峙します。
 かつての片腕を見いだしたナポレオン、「やあ、ネイ、一緒に戦おう」
 かつての盟友であり君主を見いだしたネイは、おそらくこの時死を覚悟したのでしょう。「もちろん陛下とともに」
 こうして、ナポレオンの百日天下が始まりました。
 ワーテルローの地で彼は獅子奮迅の戦いをしましたが、死に巡り会わず(わざと的になるようにしたと言われています)、のちに、銃殺刑に処せられました。
 彼は、目の前で涙ながらに銃を構えるかつての部下たちに、「諸君、しっかり狙いたまえ、ここが心臓だ」と胸を指差して、言ったそうです。


6. 嘆きの壁

嘆きの壁.JPG
【嘆きの壁】

 1871年5月22日から28日は「血の週間」と呼ばれています。
 帝政崩壊後、プロシャに対し、屈辱的な講和条約(アルザス・ロレーヌ割譲)をよしとせず、徹底抗戦を叫んだ共和主義者たちが先鋭化し、ついに史上初めての労働者政府をパリに打ち立てました。世に言う「パリ・コミューン」です。
 対して、ヴェルサイユに政府を移動したブルジョワ政府はコミューンへの徹底弾圧に乗り出しました。こうしてパリ市内を舞台にした壮烈な市街戦が勃発しました。
 もともと劣勢のコミューン側はたちまちこのペール=ラシェーズ墓地に追いつめられてしまいました。墓地での戦いの結果、コミューン側は投降しましたが、この壁に並ばされて、即銃殺の憂き目にあったのです。この壁が「嘆きの壁」と呼ばれるのはそのためです。今だこの下に、花束が絶えません。
 フランスが民主主義を樹立するためには、高い代価を払わねばならなかったのです。
 合掌

7. 社会主義者ルドリュ=ロラン(1807-74)

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【ルドリュ=ロランの墓】


 ルドリュ=ロラン(1807-74)は1848年の二月革命の立役者でしたが、ナポレオン3世と対立し、亡命を余儀なくされます。帝政崩壊とともに帰国し、国会議員に選出されますが、コミューンに加わりませんでした。
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墓地探訪(パリ) | 15:58:13 | Trackback(0) | Comments(1)
コメント
シャンポリオンだなんて、懐かしい響きです。
未履修の方々は、きっと知らないのでしょうが・・・w
そういえばルーブルでハンムラピを見つけられないという事態に!
ロゼッタはイギリスまで行かなければ行けないのですかぁ・・・

『犬と少年』の記事を読んでいたら、なぜか母国では受けが悪い『フランダースの犬』を思い出してしまいました。(苦笑)
2007-05-07 月 10:14:09 | URL | titanx2 [編集]
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