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石田明生

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モンパルナスの墓地再訪
セルジュ.JPG
ゲンスブールの墓

 半年ぶりにゲンスブールの墓に来ました。様子が一変しているので、また写真を撮りました。
 ゲンスブール、死してなお日に日に新たなり、ということでしょう。
 写真の彼に撮影している僕の姿が重なり合って・・・
 これも何かの縁、彼に語りかけてみる。

 君の傑作はなんだろう?
 君の思いなど無視して言わせてもらえば、僕があげたいのは次の曲だ。

『リラの門の切符切り』
『プレヴェールに寄せて』
『ジキルとハイド氏』
『メロディー・ネルソン』
『この人を見よ エッチェ・オモ』
『仲間、ノスタルジー』


 「君自身は『よだれ』『Je t'aime moi non plus』『レモン・アンセスト』を付け加えたいのでは?
 「えっ、なんだって? 最高傑作は娘のシャルロットだって
 「ほんとに、シャルロットはいい女になったね」


ゲンスブール2.JPG
【ゲンスブールの墓】

 「そう言えば、君は『夢見るシャンソン人形(原題:蝋人形・おがくず人形)』を発表したとき、(売るために)決して才能を売ったのではない、と主張していたね。人形だって過激な歌なんだって。そのあとの『シュセット』で、君は気取った連中を見事にうんざりさせた。あれはすごかった。こともあろうに、君はその歌をフランス・ギャルに歌わせた。彼女はあれでひどく傷ついたらしいよ。
 「そうそう、『アクワボニスト(無造作紳士)』も過激だったね。汚い言葉をこともなげに、奥さんのバーキンに歌わせているんだから。
 「でも、究極の歌は『Je t'aime moi non plus』だった。歌詞をここで訳したらエラいことになるほどだからね。えげつないって言ったら、あれほどのはないだろうね。しかもそれを美女の譽れ高いブリジット・バルドーに歌わせるなんて。えげつない歌詞と美しいメロディー、そのコントラストが絶妙なんだね。
 「君が奇才と言われるのもわかるよ。うん」

2. ジーン・セバーグ

セバーグ.JPG
ジーン・セバーグの墓

 アメリカ生まれの女優ジーン・セバーグ(1938-79)の最高傑作は・・・さすがにこれだけは衆目の一致するところでしょう・・・ゴダールの『勝手にしやがれ』(1960)、これにつきます。まさに彼女はこの作品で永遠の女優となったのです。
 パリに留学しているアメリカ人の女学生が、ひょんなことで知り合ったやくざ男(ジャン=ポール・ベルモンド)と何気なく心を通わす。知性のかけらもない、ヤクザものだが、彼女は彼をどうしても憎めない。どうしてだろう。その不思議な魅力をベルモンドが抜群の演技力で表現しています。
 そんな危うい二人がパリの町で物語の大団円へと向かう。まさに結末の美学・・・ゴダールのこだわりです。
 本当にジーン・セバーグはよかった。他の映画にももちろん出演しているが、これに比べれば「くず」みたいなもの。そして映画『勝手にしやがれ』は、珠玉中の珠玉の作品・・・

セバーグ写真.JPG

 アメリカで全く芽の出なかったたジーン・セバーグを有名にしたのは、『悲しみよ、こんにちは』(1958)でした。フランソワーズ・サガンの小説の中で彼女は・・・大根でしたが・・・すねた金持ちの娘役を演じました。彼女のボーイッシュな髪型は「セシル・カット」と呼ばれたそうな。その二年後が『勝手にしやがれ』です。

 実を言いいますとそれからの彼女にあまり関心がありませんでしたが、忘れかけていたとき、彼女は『ペルーの鳥』(1968)で、蠱惑的な女を演じて、ファン(および僕)を驚かせました。その時、原作者のロマン・ギャリと2・3度目の結婚をしましたが(その後も他の監督と結婚)、結婚は彼女に幸いをもたらしたようには思えません。
 彼女は41歳で自殺して果てます。
 写真の彼女、『勝手にしやがれ』の頃の姿です。 こんな言い方をしたら失礼ですが、役者さんが本当にいい役ができるのは一生に1・2度です。彼女はゴダール監督と出会い、一度そのチャンスを持つことができたのです。


3. ギー・ド・モーパッサン(1850-93)

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モーパッサンの墓

 モーパッサンの墓をやっと見つけました。しかも、見知らぬ観光客の人に教わってです。何年かかったでしょうか。2004年、2005年、2006年、いずれも夏、太陽の下で地図を頼りにそれらしいところをしらみつぶしに歩きました。他にも僕と同様に探している人がたくさんいました。でもどうしても見つかりませんでした。
 実を言いますと、僕は30年くらい前に、彼の墓に詣でたことがあります。その時は簡単に見つかったことを覚えています。それなのに、このたび見つかりませんでした。不思議です。
 
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 モーパッサンの墓を探す目印は、開いた書物でした。その見開きのページに彼の生没年があったはずでした。そして、今目の前にあるのは、確かに本の見開きですが、僕の記憶に残っている本とは全く異質なものでした。以前あったブロンズ製の見開きの本はどうしたのでしょう。盗難にあったのでしょうか。

本2.JPG
【30年前に撮った写真】

 そのためだったのでしょうか。そのためだけだったのでしょうか。今までモーパッサンの墓が見つからなかったのは。不思議です。
 不思議と言えば、墓の上部に十字架がありました。彼が信心深かったとは到底思えないからです。そこで彼の臨終の模様を読み直してみました(『モーパッサンの生涯』アルマン・ラヌー著)。パシーの精神病院での彼の闘病生活は胸を打つものがあります。忠僕のフランソワが常にいたからでしょう。作家の最後が細かく報告されています。ここでは、アレクサンドル・デュマ(息子・『椿姫』の作者)が受け取った、死亡通知書を紹介しましょう。
《一八九三年七月六日、四三歳で、終油と聖体の秘蹟を授けられて、パリで死去した、文学者アンリ=ルネ=アルベール=ギー・ド・モーパッサンの葬儀は、来る八日土曜日、正午きっかりに、その小教区シャイヨーのサン=ピエール教会で行われる予定である》
 反教権主義者で、どちらかと言えば汎神論者の作家は、最後にカトリックに帰依したことになっています。
 彼は、棺に入れないで直接土に埋めてほしいと言っていたそうですが、その願いはかなわなかったようです。彼は『ミス・ハリエット』で書いているように、自分の肉体を栄養にして別の生命を育みたかったに違いありません。小説の中で次のように書いています。
 神様をひたむきに信じていたミス・ハリエットは自殺して果てました。友人・知人のいない彼女のために、「わたし」はひとり通夜をします。

《こうなってみると、この女(ひと)が神様を信じていたことがわたしには痛いほどわかりました。おのれの不運のつけをどこかほかのところに求めていたのでしょう。もうすぐ彼女は土にかえり、今度は彼女自身が植物になろうとしています。彼女はお日様のもとで花開くことでしょう。牛どもに食べられたり、種となって鳥たちについばまれることでしょう。そして家畜の肉となり、ついには人間の肉となるでしょう・・・》(短編集『ミス・ハリエット』[石田明夫訳・パロル舎]より)


4. ピエール・ルイス(1870-1925)

 ピエール・ルイスの墓をついに見つけました。モーパッサンの墓を探すのに目印にしようと探していましたが、見つからず、逆にモーパッサンの墓から手がかりが得られ、発見となったのです。

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 ピエール・ルイスはパルナッス派の詩人たちと早くも交わり(その中の一人、エレディアの娘と結婚)、詩人になるべく生きていたようなものでした。
 古代ギリシャの女流詩人サッフォーの同時代の詩人の歌と称される『ビリチスの歌』(翻訳あり)は、サッフォーのレスボスを思わせる官能美にあふれています。また小説『アフロディテ』は、古代世界の遊女たちの優美と官能の融和が描写され、詩人の耽美趣味が遺憾なく発揮されて、まさに世紀末の一作と言えるでしょう(翻訳はないかも)。


5. ポール・ブールジェ(1852-1935)

 このモーパッサンの友人の墓も、モーパッサンの墓を探す指標としようとしていましたが、逆にみつかったものです。すぐ隣にありました。

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 彼はなんと言っても、反自然主義として頭角を現します。つまり、ゾラを中心にはやっていた科学主義に反旗を翻したのです。その結晶が傑作『弟子』です。ここに科学主義の残酷さを強調し、キリスト教的倫理観への回帰を示唆しています。

6. ロベール・デスノス(1900-45)

デスノス.JPG
デスノスの墓

 デスノスの得意技はなんといっても、眠ったまま詩を書くことでした。いわゆる自動筆記法です。
 彼はアンドレ・ブルトンの率いるシュールレアリスム運動にも積極的に参加しました。ナチス占領下においては、レジスタンスに加わるも、逮捕され、チェコの収容所で死亡します。
 実は、この墓もなかなか見つかりませんでした。やはり一緒に探していた若者が、見つけてくれました。彼は僕に「デスノスを知っているのか?」と尋ねましたので、「もちろん、アラゴンの仲間でしょう」と答えると、うれしそうにうなずいていました。きっとデスノスファンなのでしょう。シュールレアリストのアラゴンは詩で歌っています。「君のことを考えるんだ、デスノス」
 ともにファシズムと戦いましたが、デスノスだけ死にました。
 また、この墓を見て驚きましたが、十字架がありました。まさに「君のことを考えるんだ、デスノス」とアラゴンと一緒に言いたくなります。専門ではないのでわかりませんが、彼と神、驚きます。


7. ブランクーシ(1876-1957)

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【ブランクーシの墓】

 コンスタンタン・ブランクーシ(1876-1957)はルーマニア出身の彫刻家です。以前この墓地を紹介した時、彼の作品『接吻』を表紙にしました。すてきな作品ですね。

カメラマン.JPG
【墓の写真を撮るルーマニアの記者】

 ブランクーシの墓のところで、彼に詣る人を待っているかのように一人の女性がいました。僕が墓の写真を撮っていますと、
 「あなた、ブランクーシを知っていますか?」と話しかけてきました。
 「ええ、あそこにもありますし(『接吻』の方角を指差して)、有名ですよね」
 「失礼ですが、日本人ですか?・・・(僕がうなずくと)・・・彼は日本で有名ですか?」
 「うーん、そうでもないですね。残念ですが」
 「そうですか。今、ブランクーシ展をやっているのを知っていますか?」「え?どこでですか?」「ポンピドゥーセンターの前です。無料ですから、ぜひ、行ってください」
 「あなたは?」話し相手がどんな人だろうと思い、尋ねると、
 「ルーマニアの記者です」
 つまり、このルーマニアが生んだ天才的彫刻家をもっとアピールしようとしているのでした。
 ちなみに、なかなかチャーミングな人でした。

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【ブランクーシの作品に見入る子供たち】

 そして、早速ポンピドゥーセンター前の展覧会場に行きました。こういう偶然があるから、旅は楽しいのです。
 入りますと、ブランクーシの傑作『アザラシ』の前に興味津々の子供たちが座って先生の説明を聞いていました。
 美術館で時々見る光景ですが、その光景を観察するのは本当に楽しい。
 この展覧会の模様は別に掲載するつもりです。


8. アンリ・トロワイヤ(1911-2007)

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【アンリ・トロワイヤの墓】


 作家アンリ・トロワイヤが亡くなったのは日本を出発するつい先日(3月2日)と思っていましたら、ゲンスブールの墓のほぼ向かいで花に埋もれた彼の墓に遭遇しました。
 
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【アンリ・トロワイヤの墓】

 さすがに大作家の死、共和国大統領からのリボンも飾られていました。
 思えば、この大作家もモスクワ生まれのロシア系アルメニア人、今度の大統領(サルコジ)と同様、やはりいわゆるフランク族ではありません。幼い頃両親が革命を嫌ってフランスに亡命してきました。
 1938年に、あのサルトルの『嘔吐』と争い、彼は『蜘蛛』でゴンクール賞を勝ち取り、作家の道を歩みました。
 『女帝エカテリーナ』『イワン雷帝』などロシアの偉人の伝記も多く書いていますし、翻訳も多数あります。
 もちろん本業の小説制作も盛んでした。事実を積み上げたレアリスム小説は彼の真骨頂かもしれません(たとえば、『クレモニエール事件』翻訳なし)。


9. アルフレッド・ドレフュス(1859-1935)

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【ドレフュス大尉の墓】


 アルフレッド・ドレフュス(1859-1935)は、アルザス出身のユダヤ人で、理工科学校出身のエリート士官でした。輝かしい将来が彼の前に開いていました。あの、忌まわしいスパイ事件さえなければ・・・
 1894年、彼は身に覚えがないまま、ドイツに情報を売っているスパイとして逮捕され、終身刑を宣告されて悪魔島(現在の仏領ギアナ)に流されます。
 いわゆる、世紀末のフランスを二分した「ドレフュス事件」の勃発です。

ドレフュス2.JPG

【ドレフュス大尉の墓】

 彼の妻は夫の無実を信じて、再審請求をしますが、なかなか司法の壁に穴をあけることができません。
 そんなとき、小説家のゾラが「我弾劾す」を新聞に掲載し(1894年)、真の戦いが始まります。が、逆にゾラが有罪判決を受け、イギリスに亡命するはめになりました。それから約半年後、関係した疑惑の中佐が自殺して(どこかの国でも自殺しましたが)、俄然再審派=ドレフュス派は息を吹き返します。
 こうして、反ドレフュス派は壊滅していきました。
 「ドレフュス事件」が「事件」となったのは、ドレフュス本人の問題ではなくなり、ユダヤ対反ユダヤ、カトリック対反カトリックの対立構造が全面に出て来たことによります。
 結局、再審がなされ、ドレフュスは名誉が回復されますが、10年以上たった1906年のことでした。
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墓地探訪(パリ) | 20:29:23 | Trackback(0) | Comments(0)
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