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空爆とKamikazeと劣化する人類
 フランスから、先日、サン・ドニのアジトを急襲してテロリストを制圧したというニュースがあった。その中に主謀者がいたらしい。彼らの携帯電話を分析したところによると、次のターゲットはパリの西方にある近未来都市デファンスだったとか。しかも、19日、つまり昨日にも決行する予定だったと言われている。パリ市民はほっと胸をなでおろしていることだろう。13日の襲撃地点もそうだったが、このデファンス地区もどちらかと言えば観光客の少ない地域といえるだろう。つまり、テロリストたちは、どうやら現時点においては、観光地を狙う予定はないようだ。もしそうなら、このことは我ら観光客予備軍にとって、大した根拠もないが少し安心材料になると言える。とはいえ、そう誘導しておいて、最終的にはオペラ座大通りやシャンゼリゼ通りを狙っているのかもしれない。
 フランスの新聞が、自爆テロ犯を「kamikaze」と呼んでいることが気になった。kamikazeとは、アメリカとの戦争時の特攻隊の別名であることはもちろんだ。その語の誕生国の国民としては、少なくとも本国ではほぼ完全に忘れられたその単語が欧米でいまだ使われているのにいささか驚きを禁じえない。


 そう思って、今までの戦争について少々考えてみた。資料に具体的に当たったわけではないので心もとない話だが、自爆テロを戦争の主要な武器として使ったのは、どうしても太平洋戦争時の日本軍を嚆矢とするのではないかという結論になりそうだ。というのも、自殺を禁じるキリスト教やイスラム教においては、もともと発想として自殺を前提とした攻撃はありえないことだったのではないだろうか。そういうと、今日の自爆テロはイスラム教徒がしているではないかと、すぐに反論されそうだが、彼らはこの度の自爆テロを自殺行為ではなく、ジハード、つまり聖戦行為であると位置付けて、一種の論理のすり替えをしている。それどころか聖戦のために命を失うことは名誉であり、英雄視されて見事天国に行けるとして称揚される。
 翻って我が国の歴史を紐解くと、今から約70年前に太平洋戦争で、敗色濃厚となった日本は、まさに自爆攻撃と言える特攻作戦を行ったことが知られている。それは前代未聞のことだったので、特攻隊を迎え撃った米軍は、当初目を疑ったに違いない。もしかしたら、間違いではないかとも思ったかもしれない。攻撃と自殺を兼ねた作戦など、彼らは夢想だにしなかっただろうからだ。だから、もしかしたら、この特攻作戦は最初は成功したかもしれない。が、攻撃が繰り返されるうちに特攻機は敵の艦船にほとんど達することがなかったとは、よく聞く話だ。このkamikaze 作戦は、2001年ニューヨークの国際貿易センタービルへの突入、つまり9.11に繋がるものだ。ただし、9.11が太平洋戦争時のkamikaze と根本的に異なるのは、自爆に道連れの旅客がいたこと、的が軍事拠点ではなく民間のビルだったことだ(国防相を除いて)。
 それなら、今回のパリ襲撃も、いわゆるkamikaze と根本的に違うのではないか。テロリストが狙っているのは(パリのテロに限らず)、ほとんど軍事施設とは何の関係もない一般人だからだ。それを旧日本軍の遺物のような、日本では忘れかけていた kamikazeという単語で呼ぶのは、いささか筋違いではないかと言いたくなるのが人情だ。
 ところが、彼ら(欧米人たち)がこの単語を使うのには、別の理由もあると、ふと思った。思い出したのは、あのテルアビブ襲撃事件だ。日本人の若者三人が、テルアビブの空港で銃を乱射して、多数の一般人の命を奪ったあれだ。Wiki によると乗降客など26人が死亡、73人が重軽傷を負ったという。このショッキングな事件は、もちろんパレスチナとイスラエルの対立という文脈から生まれたものだが、事もあろうに、どちらの陣営とも無縁であるはずの日本人がパレスチナ側としてイスラエルにテロ行為をしたのだ。二人はその場で射殺ないし自爆、もう一人は逮捕された。1972年のことだ。どうやら、このテロこそ、自殺的なテロのはじめだったと言えそうだ。この事件は、自殺を禁じていた、いわゆるユダヤ、キリスト、イスラムの世界では相当のショックを与えた。やはり、無差別テロの実行犯がkamikaze というレッテルを貼り付けられるのは無理もないか。
 太平洋戦争時の連合軍と日本軍の戦力の違いはあまりに大きく、制空権をとられた日本はkamikaze 作戦をとらざるをえなかったのだろう。そういう意味で、今起こっていることも同じかもしれない。アメリカ、フランスを中心とした有志連合はターゲットに対して空爆を自在にできるが、IS側はそれを甘んじて受けるしかない。地上から時代遅れの兵器で、近代的な戦闘機に反撃することはほとんど不可能だからだ。撃ち合いにすらならない。彼我の差があまりにありすぎる。それならば、相手の懐に潜って、一般人を人質にとり、空爆をやめさせるしかないとISは考えたのだろう。そのための自爆作戦だから、自殺行為ではなく、立派な聖戦ではないかと。そう見ると、彼らIS側のジハードの論理もわかるような気もする。
 空爆は、それが爆発である限り、一般人の犠牲者が皆無とは言えない。それどころか、彼ら ISの戦闘員たちは民間人を盾としているかもしれない。彼らが声明で言っていることは、まさにそのことだ。曰く、「フランス人は安心して暮らすことはできない」つまり、空爆を受けて安心して暮らせない側の「お返し」の論理と言える。そうなると、負の連鎖はとめどもないものになるだろう。空爆を受けるから、無差別テロをする。無差別テロをされるから、空爆をする。どちらかが根絶されるまで、かつてない恐怖は続くのだろうか。これは、人類が経験したことのないまったく新しい戦争だ。人は、時代とともに科学・技術の分野で賢くなっているのかもしれないが、協調とか共存とか種の保存に関する知恵は劣化して、愚かになっているのは確かだ。
 それならばどうしたらよいのだろうか。
 たまたまコンサートを聴くため劇場にいてテロの犠牲となった女性を妻とするひとりの新聞記者が、ISに手紙を書いた。その手紙には、「君たちに憎しみという贈り物はあげない。君たちの望み通りに怒りで応じることは、君たちと同じ無知に屈することになる」と書かれていた。そういう内容を含む手紙を読んで、愚かな負の連鎖を断ち切るには、信じられないほどの勇気・・・超人的な勇気、人知を超えた勇気と言ってもよい・・・そういう勇気が必要かもしれないが、無差別テロを受けた国の指導者であるオランド大統領は「憎しみ(テロ)に対しては憎しみ(空爆)で答えない」と宣言すべきだったのだと思った。もちろん、復讐に燃えている世論に背をむけることになり、支持率は急降下するかもしれない(もともと低い支持率だったが)。彼のみならず、フランス自体が「臆病者」というレッテルを貼られるかもしれない。だが、かつての9.11におけるブッシュの轍を踏んではいけなかった。
 各国と連携して空爆を強化している最中だが、今からでも遅くはない。期限付きでもよいから、「憎しみに憎しみを返さない」と言って、空爆を止め、静かに相手の出方を待ってはどうだろうか。こんなことを言うと、オプチミストにすぎないかもしれないが、フランスが「やられたらやり返す」という野蛮な国でないことを世界と歴史に示して欲しい。
 オランド大統領は、現在のままでは、西部劇に登場するブッシュ並みであり、ガンジーやキング牧師のような勇気の持ち主でないことを露呈している。しかし、もう一度言う。大統領、今からでも遅くはない。かの新聞記者の精神を汲みとり、聖者にも匹敵するような途方もない勇気を示して欲しい。
 やはりペンギンのオランドには無理そうだな。それならば、誰かそういう精神の持ち主が現れて欲しい。そして、オピニオンリーダーになり、まさに救国の英雄になって欲しい。「空爆強化」のニュースを聞いて、今はそんなことを夢見ている。
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雑感 | 22:45:28 | Trackback(0) | Comments(0)
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