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石田明生

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68回目の誕生日---ラスコー展
 昨日11月2日は68回目の誕生日だった。ずいぶんと生きたものだ。大学の方が、文化祭で休みだったので、上野へ「ラスコー展」を見に行ってきた。毎日新聞の後援なので無料入場券が手に入ったのだ。何度もフランスに行っているが、まだラスコーに行ったことがない。今回展覧会を見て、ますます行きたくなった。谷と山、渓流と森、資料映像を見ると限りない自然の美が画面いっぱいに氾濫している。
 入場してまず驚くのは、入り口近くに展示されている骨から復元したクロマニョン人の母娘だ。フランスの技術の高さを雄弁に物語っている(製作者Elisabeth Daynès)。母親が娘の顔にペインティングを施している真っ最中のその作品は、まるで生きているようで動き出しそうだ。二人はどんな言葉を発して、会話していたのだろうか。

クロマニョン母と娘

写真ではわからないが、むき出しの足など肌の部分には産毛まであった。





 さらに行くと、ラスコー洞窟の模型が展示されていた。その展示によって、洞窟内はどうなっていたのか、どのくらいの大きさなのか分かる仕組みになっている。ここで、ラスコー洞窟の全体像を把握することが肝心なのだ。

洞窟内部

この模型の内部を覗き込むことによって、洞窟の規模と描かれた壁面の様子を知ることができる。
また、洞窟全体から、どの部分にどんな絵が描かれているかわかる。


 次の部屋が、原寸大に復元した洞窟の一部だ。暗闇の中に、牛や馬、バイソンたちが浮かび上がる。この展覧会の一番の目玉と言えるだろう。

黒い牡牛、馬の列        背中合わせのバイソン

真っ暗闇から、わずかに照明が灯される。そこに、2万年前の芸術家たちの傑作が浮かび上がる。
左側は「黒い牡牛、馬の列」右側は「背中合わせのバイソン」と呼ばれている。

 クロマニョン人たちは写実的に絵を描くという技術をすでに持っていたことがわかる。現代人でもこれほどの絵は描けるものではない。少なくとも、僕には不可能だ。2万年前の時代もまた、誰でもがこのような絵の才能があったわけではないだろう。天才的な画家のような人が存在していたのだろうか。
 この洞窟壁画の存在は、壁画そのものの価値もさることながら、照明技術の卓越さをも見せている。当然洞窟内は真の暗闇だった。また、この巨大な壁画を描くのに、どれほどの時間が必要だったのだろうか。そんなこんなを突き合わせてみれば、明るくてしかも長時間の照明がなければならなかったのは明らかだ。撮影禁止だったのでここに紹介できないが、石で作られた大きなスプーン状の火皿が展示されていた。最初こんなもので何時間も照明できたのか疑問だったが、資料映像を見て納得した。皿の部分に液体の油を入れるのではなく、獣脂の塊を次々と足していくのだ。燈心は植物性だったと思う。これならば大量の獣脂の塊を持ち込めば何時間か光を確保できる。やはり賢いものだ。
 出口に近い部屋に、復元したクロマニョン人の夫婦らしきものがふたたびあった。これも先と同様精巧無比の作品だった。

クロマニョン夫婦

 彼らを見て、驚くのは、皮の上っ張りを羽織っているのは良しとして、今とかわらないズボンを履いていることだ。その謎は、展示品の中に小さな縫い針を見つけて氷解した。その縫い針は、現代のそれとほとんど変わらない細さで、長さは5・6センチほど、糸を通す小さな穴もあった。彼らは縫い物もしていたのだ。現代のものと違うのは、金属製ではないということだけだ。多分骨か牙で作られているのだろう。解説にも、縫い針はクロマニョン人の時代の大発明だったとあった。むべなるかな。
 50万年前のハイデルベルク人、6万年前のネアンデルタール人、3万年前のクロマニョン人、それぞれの実物大の写真があった。ハイデルベルク人は素裸、ネアンデルタール人は毛皮を引っ掛け、クロマニョンは現代人とほぼ同様の衣装だった。ちなみに、クロマニョン人は足が長く、身長が高かったらしい。説明書きによると170センチ以上は普通だったとか。

ハイデルベルク人    ネアンデルタール人    クロマニョン人

驚くのは、復元の元になったこの三体の頭蓋骨がほぼ完全な形で展示されていたことだ。
全てフランスで採集されたとある。


 ラスコー洞窟の壁画にとって幸運だったのは、発見されたのが1940年というごくごく最近だったことだ。もっと過去において発見されたなら、学問的価値観や保存方法など現代と異なり、これほど良質な保存ができたかどうか。
 一部を除いて、写真撮影が許可されていたのも嬉しかった。フランスからの提供だったからかもしれない。

 そうそう、誕生日だったのだ。京浜線のガード下で、厚さ2センチは優にあるトンカツを食べ、家では、我が家の誕生日の定番、赤飯をいただいた。68歳、毎年のことながら質素な誕生日だった。けれども、ラスコー展付きというところが何よりも豊かな誕生日にしてくれた。クロマニョンのあの人たち、互いに名前を呼びあっていたのだろうか。およそ2万年後に、一人の年寄りの誕生日に関与したことなど夢にも思わなかったろう(彼らも夢を見ただろうな)。
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日常スケッチ | 12:02:58 | Trackback(0) | Comments(0)
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