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石田明生

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2016年の出会いの書
 いよいよ今年もサン・シルヴェストルの夜(La Saint-Sylvestre) となった。33代ローマ教皇 Saint-Sylvestre の名がこのように大晦日に付いたのは、彼が、335年の12月31日に没したことによるらしい。ローマ皇帝コンスタンティヌスがビザンティンに遷都したために、ローマ皇帝不在のローマで、サン・シルヴェストルはキリスト者として権威を持つことができた。コンスタンティヌス帝はキリスト教を公認するミラノ勅令を発布したからだ。それまで、キリスト教は約3百年間、帝国内では迫害の対象となっていた。その嚆矢ともいうべきネロ皇帝の時代を余すところなく描き尽くした小説に今年は巡り合った。もちろん以前にネロと初期キリスト教の時代を壮大なスケールで描いた『クオ・ヴァディス』を読んだことがあったが、今年読んだ『ネロの都の物語(Neropolis)』(栩木泰訳)はそれよりもはるかにリアリスムに徹した、ローマそのものを描いた物語と言える。作者は、キリスト公認より約3百年前のネロ帝の時代とローマの町を7百ページに及ぶ分厚い文庫本2冊であたかも読者を町に生活させているかのような錯覚を与える。このようなローマについての該博な知識の持ち主はフランス人のユベール・モンテイエ(Hubert Monteilhet)という。彼は著名な推理小説作家でもあり(推理作家としてはすでに何冊か読んだことがあった)、歴史家でもある。これは、文句なく2016年に読んだ本の最高位に推薦する。ちなみに、出版は1995年だったのだから20年以上前になる。僕がよほど図書界に疎かったのか、それとも当時ほとんど話題にならなかったのか、これほどの小説を知らなかったとは! 驚きだ。ちなみにまわりのフランス文学畑の先生方に聞いたが誰も知らなかった。

ネロの都の物語
分厚い中公文庫2冊

 物語は、カリグラ帝の時代、主人公カエソの父親の没落から始まる。


 父親のマルクスは凡庸な元老院であったが、没落してしがない弁護士となり日銭を稼いで暮らしていた。そこに、両親ともに亡くした姪のマルキアが突然訪ねてきて、男やもめのマルクスに結婚を申し込む。マルクスにとって、若いマルキアの美貌と知性は目も眩むようなものだったので、もちろん法律が許せば否やはない。が、この結婚申し込みは、用意周到に準備したマルキアの野心だった。叔父と姪の結婚の問題も、クラウディウス帝が範を示したことにより(姪のアグリッピナとの結婚)、可能となっていたのだ。もちろんマルクスとは夫婦関係を持つつもりなど毛頭ない。欲しいのは、元老院議員である叔父のもつ人脈だった。彼女は持ち前の美貌と知性を生かして、有力者との関係を結びつつ、マルクスの二人の息子の教育にも力を入れる。長男の小マルクスは凡庸であったが、次男のカエソは幼い頃から秀才の誉れ高く、鋭い感性にも恵まれていた。
 マルキアは次男のカエソの教育に取り分け力を入れる、と同時に撃てば響くような頭脳でそれにカエソは答える。兄のマルクスは馬術と剣術に秀でていたので軍籍に入り、カエソは学問を続ける。その間、時代はネロ帝の統治時代となる。その側近の一人、家柄は皇帝にもつながると言われるシラヌスに、ついにマルキアはたどり着き、彼の恋人、ついでカエソの父親と離婚して妻となる。彼女は、知性も肉体も逞しく成長するカエソをさらに高みへと推しやるために、シラヌスの援助を得て、彼をギリシャ留学までさせる。彼女の義理の息子に対する愛情は、いつのまにか義母と息子のそれを越える。とりわけ、ギリシャ留学から帰って来たカエソはアポロンのごとく美しい青年となっていたのだ。
 この二人の関係は、ギリシャ神話の「パイドラ」、ラシーヌの「フェードル」を彷彿とさせる。義理の母の行き過ぎた愛情に一人悩む息子のカエソは、マルキアの夫シラヌスが度量広く、博学であり、良き相談相手であるだけに苦しむ。その時、彼が逃げ道として相談するのが、当時新興宗教としてローマに出現し始めたキリスト教を説いて歩くパウロであった。パウロは、カエソが受けたギリシャ・ローマ的な知性とは全く異質な、いわば不思議な知性で彼に接する。カエソとパウロの問答と議論は、ドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」を思わせると言ったら大袈裟だろうか。久々、次元の高い会話を読んだ満足感があった。二人は、ローマの公衆便所で、居酒屋で、あるいは街角やあばら家で、延々と議論をする。その時の二人を取り巻く風景、ごった返すような庶民のローマは異常なまでのリアリズムで描かれる。
 このリアリズムは、エミール・ゾラ並みと言えば良いだろうか。とは言え、シラヌスの催す豪華な饗宴も、その食べ物の一つ一つ、供され方、食べ方、吐き方何一つおろそかにされない。作者の野心は、ネロ帝時代のローマを全て描き尽くすことにあるのだろう。
 物語は、ネロ帝の登場により、その迫力は否応なく増していく。少年愛のネロは、芸術を理解し、感受性鋭く、美貌のカエソを稚児の一人としようとする。カエソはカエソで、ギリシャの留学時代にきっぱりと少年愛(ホモセクシュアル)を拒否していたので、皇帝の誘いに応じることができない。義理の母との関係、皇帝との関係、保護者のシラヌスとのそれ、絶望の淵に追いやられるカエソ。そんなカエソは、父親の美しい女奴隷セレナに惹かれる。ギリシャ語もラテン語も解し、もちろん文字の読み書きができて知性のある彼女は、父親の性的な奴隷でもあった。ユダヤ人の彼女はカエソの父親を憎み、ローマ人を憎む。が、カエソは肉体関係に至らないままセレナに命がけの恋をすることになる。

 と、ここまで内容を解説したが、これ以上の説明は、これから読む人に迷惑となるだろう。史実として周知のことなのでこれだけは言えるが、大団円はもちろん芸術家ネロによるローマの大火と、ペテロやパウロの殉教、それに主人公のカエソはどう関わるか。物語は、手に汗握る展開となり、完結を惜しみたい気持ちで満たされる。もっともっと読み続けたい・・・そんな思いにかられる。

 今年は、どんな本に出会えるのか。まだまだ捨てたものではない、小説・物語は。
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雑感 | 00:00:10 | Trackback(0) | Comments(0)
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