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『鍵と錠前 des clefs et des serrures』
 『鍵と錠前 des clefs et des serrures』という変なタイトルの本がある。昨年、91歳という高齢で物故したフランスの作家ミッシェル・トゥルニエMichel Tournierが、1983年に出した随筆集(エッセー)だ。表紙をめくると5€と鉛筆で手書きされていた。だいぶ以前、毎週日曜日に古本市の立つ、パリのブラッサンス公園で買ったものだ。買ったことも忘れていたこの本を先日部屋で見つけ、何気なく読み出したら、ひどく面白い。様々なテーマを2・3ページの長さで、豊かな知識と想像力を駆使して分析あるいは統合、敷衍あるいは凝縮している。文章は少々どころかかなり難解だが、知的好奇心と惰眠を貪っているわが詩情を刺激する。
 第一番目に表題の『鍵と錠前』というエッセーが来ているが、とりあえずここで紹介したいのは、『エロチックな画像(イメージ)L’image érotique』という文章だ。高度なエロチスムについて『不思議の国のアリス』で有名な作家ルイス・キャロルをまな板に載せて書いている。

鍵と錠前の表紙          ルイス・キャロルの写真
『鍵と錠前』の表紙とルイス・キャロルの撮った写真





«試訳»

 エロチスムとは何か? それは、完全体として考えられる性衝動そのもの、すなわち、種の保存に役立つことを断固拒否する性衝動のことだ。純然たる贅沢としてそれ自体が目的とみなされる性衝動の行使である。美食が食を滋養という機能から切り離し、食そのものに絶対的な価値を持たせて、料理を純粋無垢の芸術にしているのと同様である。美食家と空腹を抱えた人は百八十度逆向きにならざるを得ない。ヴィクトリア朝のモラルが条件付き、つまり生殖という目的をもってされない性行為をすべて弾劾するとき、攻撃対象にしたのはただ一つエロチスムに対してだ。ナポレオンは、子をなさないジョゼフィーヌと離婚してマリー・ルイーズと結婚するとき、言ったものだ。「余は母体と結婚する」彼はあらかじめ未来の妻との関係からエロチックな方向性をすべて奪い取っている。対して、ピルと中絶は性行為から生殖につながる方向性をすべて取り上げる機能があるために、エロチスムを手助けする。無邪気に言えば、もともと生殖と切り離された同性愛は、あの危険で罪深い欺瞞だらけの異性愛よりもエロチックということになる。
 生殖は時間と空間の中に完全に限られる。言ってみれば、三人の子供のいる家族の父親は生涯で三回以上愛の行為をしたということではないだろうか。もっとも、双子がいなかったという条件付きだが。ところで、男は生涯で平均五千から一万回の射精をし、豚と同様、季節を問わず愛の行為をする唯一の動物だ。こういった単なる数字だけで、ヴィクトリア朝のモラルの欺瞞性と人の持つ抗しがたいエロチスムの性向を予測することができる。
 エロチスムが有する膨張力はあらゆる領域に及ぶ。汎エロチスムと言ったり、エロチスムの帝国主義と言ったりすることができるだろう。あらゆる道(ヴォワ)もあらゆる声(ヴォワ)もエロチスムにとって好都合だ。社会のモラル代わりとなる性に対する異様な嫌悪とか恐怖のために立ちふさがる障害さえもエロチスムは利用する。ドン・ジュアンはまさにエロチスムの神話的な擬人化そのものだ。彼は社会、婚姻、宗教にひるまず立ち向かい、去勢コンプレックスを引き起こす秩序に対して英雄的な勇気と快活さをもって自己を前面に押し出す。見事なまでの閉鎖社会・・・16世紀のスペインが舞台だ・・・に雁字搦めにされたドン・ジュアンのエロチスムは、偽りの宣誓、瀆神、人殺しによってしか表現されえないのも真実である。このような特殊なケースでは、見いだされるとしたら、憎み合う共に邪悪な兄弟のように、テロリスムと反テロリスムを対立させる身の毛立つ血みどろの弁証法だ。
 エロチスムが膨張する道路網の中で、写真は特別な位置を占める。すでに、描かれたのであれ、刻まれたのであれ、はたまた印刷されたのであれ、像は、春風が目に見えない何トンもの花粉を運ぶように、強烈なエロスの荷を運んでいた。写真の登場とともに、モデルと鑑賞者との距離は著しく縮まる。その像の創造の価値もまた減少する。が、エロチスムの効果は増大する。欲望されたヒトの写真を所有することは充足感に満たされる。だが、その写真を自ら製作すること、欲望された身体を写真に収めること(「人形(ヒトガタ)を焼く」と同様表現)はさらなる充足感に浸れるのだ。
 写真のエロチックな資源を発見した最初の人間の一人は、ルイス・キャロル、別名チャールズ・ラトウィッジ・ドジソン師(1832-1898)、オックスフォード大学の数学教師だった。彼は、ユークリッド幾何学概論と三角法の公式集との間に有名な作品『不思議の国のアリス』(1865年)を出版した。冷静な知性と突飛な想像力が結びついたこの逆説的な混交が人物を規定する。彼の秘密の園、内封された彼の燃えるような情熱、それは未成年の少女(理想は10歳の)だった。彼流のユーモアをかなり上手くまとめた警句集の中で、彼は言っていた。「子供は大好きだ。ただし男の子を除いてね」彼は、彼を取り巻くその永遠の女の子たちを時には煩わしく感じないのかと訊ねたある友人に、「この子たちは私の人生の四分の三だ」と答えたが、4つ目の四分の一に関しては慎ましくも嘘をついた。もちろん、残りも女の子たちのものだった。新たな少女狩りのことを常に頭の片隅においていたので、彼はバスや公園で出会った場合に備えて、理想の女の子をおびき寄せるおもちゃや人形入りのトランクを持たずに移動することは滅多になかった。彼は、親たちをすっかり締め出した、女の子のお友達の宮廷でサロンを開いていた。お茶、おしゃべり、ゲーム、ファンタジー、素敵なおもちゃ、オルゴール、時は瞬く間に過ぎていった。またそれだけではなく、撮影会・・・その当時の撮影機材なので疲れてうんざりさせられる・・・というのも定期的に行われた。いわば、それがミニハーレムの大人のお友達が待ちに待ったお仕事なのだ。彼自ら喜びで打ち震える手で、彼のかわい子ちゃんたちの服を脱がせ、物乞いに、トルコ人に、ギリシャ人に、ローマ人に、シナ人にとコスプレイさせていた。いちばんのお気に入りの女の子は友人のトムソン嬢の元に送られた。彼女の役目は師の綿密な指示にしたがって女の子たちのヌード写真を撮ることだった。作家の死後、それらのネガは恭しく敬意を持って廃棄されたということは言うまでもない・・・とは言っても、奇妙な独身男の情熱がこのように流布し得るためには、ヴィクトリア朝の凶暴とも言える羞恥の念が必要だった。このような場合、いわゆる寛大と言われる今日の社会なら、確実にスキャンダルでひと騒動持ち上がり、見事に過つことになるだろう。と言うのも、ルイス・キャロルの少女への愛情は完全にプラトニックだったし、プラトニックでしかありえなかったことは自明の理だからだ。
 エロチスム? 確かにエロチスムではある。しかも天才の全生涯が投入され、崇高な作品に結晶化される、恋のエロチスム、情熱のエロチスム、愛情のエロチスム、つまり最も高度な種類に属するエロチスムだった。

«ひと言»
以上が “L'image érotique” の訳だ。訳していてつくづく考えた。少女の大好きだったルイスを描くことによって、少年の大好きだったトゥルニエはどう思っていたのだろう。二人は愛する対象こそ正反対であったが、と言うより、正反対ゆえに通底するところがあったのではないだろうか。ちなみに、トゥルニエの撮った少年の写真も不思議な雰囲気を醸し出していることを付け加えておこう。
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翻訳 | 15:20:54 | Trackback(0) | Comments(0)
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