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石田明生

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『サン・ドニの首を切った男』(1)
 四月に入って、いろいろな原書を読んでいるうちに、ふと物語の翻訳がしたくなった。もちろん面白い本が見つかったからだ。作者は、Ch. Quinel(1886-1946) et De Montgon(1886-1942) という私にとっては知らない作家だ。以前、パリで買い求めた本で、タイトルは、『パリとモンマルトルの伝説と物語』、全部で15篇の短編が収められている。
 まずは最初の物語、『サン・ドニの首を切った男』を紹介したい。サン・ドニは、パリの守護聖人で、両手で首を抱えて歩く彫像で有名だ。また、彼がその首を抱えて倒れた場所が、現在のパリの北にあるサン・ドニ聖堂だったとも言われている。

サン・ドニの像 モンマルトル
モンマルトの丘、 シュザンヌ・ビュイソン小広場(Square Suzanne Buisson)にあるサン・ドニの像。
ちなみに Suzanne Buisson(1883-) は社会主義者で、対独レジスタンスの闘士として活躍したが、
ゲシュタポに逮捕される。ドイツの地で死を迎えたらしいが、没年月日は明らかではない。


※ 長いので、3回に分けて連載します。


(1)

 「あなたに平和がありますように !」(注 : ヨハネ福音書 20-19) 眠気まなこを開け、褐色の髪をした優しい小柄なラエルティアは笑みを浮かべて夫にこのように挨拶した。金髪の巨体の夫チュバルデュスはブツブツ言いながら寝床から這い出た。この祝福の言葉はチュバルデュスの好みに合わなかったらしい。彼の目覚めは美しい連れ合いの目覚めほどには快適ではなかったからだ。
 「ふん、一体どこのどいつが平和をぶち壊そうなんて考えるんだ ? 俺たちの皇帝陛下、神のごときドミティアヌス様の敵どもがルテティアまで侵略して来るとしても明日ってことはないだろう。あいつらは、せいぜいのところ、ゲルマニアの森にある国境の杭に面と向かって拝めればいいところじゃねえか。お前は、メルクリウスかヴォータン、どっちの神様でもいいけど、そいつらに俺の実入りが良くなるようにお願いした方がいいんじゃねえか」
 チュバルデュスは口をつぐんだ。彼の口は、政治や戦争や宗教が次々と話題になるような長広舌をするのに慣れていなかった。口は、普段全く別の用途で役立っていたのだ。彼は剣呑み芸人だった。市の立つ広場で観客を前に芸を披露していた。時には特別の催しのために、ローマのお役人のお屋敷へ行ったり、ルテティア近郊に住む金持ちのパリシー人の館に行ったりもした。
 彼の名声は大きかった。貴族や騎士階級の間でも細民の間でも彼の名は知れ渡っていた。名前といっても、正確には彼の名ではなかった。彼はライン河の右岸の出身だったので、ローマの神々だろうとゲルマニアの神々だろうと気にもせずに拝んでいた。ローマ軍団の短くてまっすぐな剣であろうとゴート族の長くて厚みのある剣であろうとダキアの反り身のある鋭い刃(やいば)であろうとどれも正確に呑み込んでいたのと同じだった。チュバルデュスは生まれ故郷の森ではチュバルトと呼ばれていた。が、ガロ・ロマンの国に住みつき、パリシーの女と結婚したので、名前をローマ風にしたのだ。
 夫の乱暴な受け答えに少しシュンとしたが、そのガサツさにもかかわらず夫を愛していた心優しいラエルティアは朝食の準備に余念がなかった。
 「まあ、どうでもいいけんど」家の中庭に据えられた泥の小さなかまどの火をせっせと掻き立てている優しげな妻の様子を見て穏やかな気持ちになった大男は言った。中庭は扉に隔てられることなくクビクルムつまり寝室に面していた。
 ラエルティアは夫が剣を呑み込むのに、胃袋を満たしてはいけないことは知っていた。しかし、バター焼きした小ぶりの川マス四匹と豚レバーの分厚い切り身二切れと前日灰の中で焼いておいたリンゴ料理を食べさせるくらいでは、チュバルデュスのような図体の男の胃袋をいっぱいにしたことにはならない。まして彼は、仕事に行くのに・・・十月の九日だった・・・悪路を二マイル以上歩かねばならないのだ。
 チュバルデュスはベンチに腰掛けてこの軽食に舌鼓を打った。
 「いい天気だ」四匹目の鱒を食べながら、彼は言った。
 「人が大勢出るぞ」まん丸いパンの上に載せた二枚目のレバーの切り身を呑み込んだ後、付け加えた。「メルクリウスの丘の市はいつでも人が集まる。それに熊使いのベッラが言うにはフェスケンニウス総督が来て裁判が行われるらしい」
 これを聞いて、ラエルティアが頭を上げた。
 「裁判ですか、誰を裁くのでしょう ?」
 「俺でないのは確かだ」かぶりついたデザート用のヤギのチーズを頬張りながら、彼は叫んだ。「ルテティアでは悪党に事欠かないからな。ひょっとすると、あのキリスト教徒の誰かを裁判して遊ぶのかもな」
 「キリスト教徒 ? そうなの ? あの人たち、誰に悪さするのでしょう ?」
 「俺には関係ないが、奴らは神様の祭壇に礼拝するのを拒んでいるんだ」
 「自分たちの神様だけ信じて節を守りたいんでしょうか ?」
 「ユピテル神かメルクリウス神にお焼香したからといって、奴らはどんなバチが当たると思ってるんだろう。俺ならやるな。だからってヴォータン神は誰にでもありがたいまんまだ」
 彼は、神学上の全知識をつぎ込んだこの言葉を言うと、手の甲で口ひげを拭って、妻に口付けをし、質素な住まいの敷居を跨いだ。ラエルティアは夫を見送った。家に戻る時、彼女の目には憂の陰りがあった。夫の姿が見えなくなると、彼女は片手を額から胸、胸から両肩へと順に持って行った。それから、中庭の隅っこに行き、魚の図柄が雑に彫られた柱の前に跪いた。
 チュバルデュスは道を急いだ。服装は半ばローマ風、半ば蛮族風だった。金属片がゴテゴテ付いた革紐で胴体と脚をぐるぐる巻きにし、一本の紐を頭に巻いて、長い淡黄色の髪を押さえつけていた。むき出しの腕で仕事道具を抱えていた。それは、まちまちの長さ、まちまちの形の剣で、互いにぶつからないように結びつけてあった。というのも、見物人達の歓心を買うには、呑み込む武器は鋭くなくてはならないし、喉と食道の安全のためにも、傷一つなくなめらかであることが絶対条件だからだ。自分ののっぽ姿の方へ物見高い人たちをひきつけるために、まばゆいほどの真っ赤なマントが背中でたなびいていた。このマントは彼の看板だった。
 先を急ぎながら、チュバルデュスの頭は目まぐるしく回転していた。今日の稼ぎを胸算用し、手に入りそうなおいしい食べものの金額を計算していた。金が余ったら、市で売られている黒い象嵌細工の施されたあの幅広の腕輪を一つラエルティアに買ってやることができるだろう。そう考えて一瞬にこりとした。あれだったら、あいつのかまいつけない肌の上で黄金のように輝くだろう。
 彼はぶつくさ文句もつぶやいていた。カトゥリアヌスにあるあの家に住むことに同意したのは、ラエルティアを彼女の家族から離さないようにするためだった。あそこは、ルテティア郊外やルテティアの町ん中に立つ市からひどく遠いからな。そりゃあ、田舎は、町の喧騒を後にした時には気持ちいい。だけど、二マイルの距離と言ったら、ひどく遠い田舎だ。今大股で大急ぎで向かっている丘の上には樹木に覆われて住みたくなるような家が何軒かあるのに。

続く・・・
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翻訳 | 06:20:23 | Trackback(0) | Comments(0)
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