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石田明生

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『サン・ドゥニの首を切った男』(3)
 衛兵たちが、鎖に繋がれた三人の男を、牢代わりとなっていた神殿から外に出した。最初に出てきた二人は民衆によく知られていた。町の名士だったのだ。一人はリスビウスと言って、もとの総督で、みんなの尊敬を享受していた。彼は地位にふさわしい豪華な衣をまとっていた。
 続いて、富裕な商人のクレスピドゥスがやってきた。ルテティアには立派な住居を、セーヌ左岸には豪華な別荘を所有していた。彼はその善意と寛大さで有名だった。常に貧しい人たちに援助の手を差し伸べる用意があり、苦境に陥った人たちのために人助けをしていた。その好人物の姿を目にすると、群衆からざわめきの声が上がった。彼は緋色の縁取りのある見事なトーガを着ていた。元老院の地位にあったからだ。
 三人目は老人だった。背筋のまっすぐな、痩せこけて白いあご髭の老人だった。長い麻のチュニカを着て、指には一つだけ指輪が光っていた。
 「ディオニシウス司教様だ」誰かが囁くと、何人かの女たちが「ディオニシウス司教様」と小声で繰り返した。

(注)ディオニシウスはドゥニのラテン語読み


 衛兵たちは、元総督リスビウスを祭壇の方へ、敬意の混じった乱暴さで押しやった・・・というのも、大物というものは、今日縛(いましめ)の身の上でも、明日はまた恐ろしい存在になるかも知れないからだ。
 「礼拝せよ」フェスケンニウスは言った。そして、弁解するかのように元同僚に小さな声で付け加えた。「形だけですよ」
 リスビウスはためらった。自分に向けられた無数の目を彼は見た。「礼拝してください!」群衆は叫んだ。すると彼は、ゆっくりと右手を伸ばし、首(こうべ)を垂れて、何粒かの香を火に投げ入れた。
 「汝は自由である、リスビウス」総督は言った。「皇帝陛下の神々も満足しておろう」
 鎖を解かれて、リスビウスは神殿の列柱の後ろに身を隠しつつ、姿を消した。
 さて次は、アウルス・クレスピドゥスの番となった。
 「礼拝せよ」総督が彼に命令した。
 「礼拝してください」群衆は彼に哀願した。商人は、まるで救いの手を期待しているかのように、周りを見回していた。
 「礼拝してください」相変わらず群衆は懇願していた。
 いきなり、人が悪さをするかのように、クレスピドゥスは祭壇に香の粒を投げ入れた。そして、鎖をはずされると、酔っ払いのように階段を降りて、セーヌ川の方面に逃げて行った。
 最後に、白い服をまとい、白髪頭の老人が引っ立てられて来た。彼は乱暴に祭壇のそばに押さえつけられたが、神の像にも総督にも火にも目を向けなかった。遠くを見据えた彼の両眼は、他者には見ることのできない何かを見ているようだった。
 「礼拝せよ」このように総督が言うのは都合三度目となった。
 今度は群衆から声がなかった。
 「礼拝せよ」イライラしてフェスケンニウスは繰り返した。
 老人は口を開いた。
 「わしはキリスト教徒じゃ。あんた方の偽りの神々に礼拝することはない。キリストの名を唱えながら、わしは喜びを抱きながら死ぬじゃろう。わしの財産というのはこの世のものではない」
 フェスケンニウスは椅子から半ば立ち上がり、激昂して叫んだ。
 「蔑んでおるのだな ! 我らが神々と神の如きアウグストゥス様の法秩序を」
 「わしが従う神はお一人しかおらん」老人は言った。
 「死ぬことになるぞ」
 「心置きなく死を待っておる」
 「この男を処刑せよ !」
 老人は階段の上にすっくと立っていた。民衆は水を打ったように静まり返っていた。
 「この男を処刑せよと言ったのだ !」総督はわめいた。
 彼の周りで、人の動きは慌ただしかった。フェスケンニウスは地団駄を踏んでいた。
 「閣下、さっきまでいた処刑人がどこかへ行ってしまいました」
 「探してこい」
 一世紀とも思われる一瞬ののち、衛兵が戻ってきた。
 「野っ原の方に逃げたようです」
 「見つけたら、死刑にしてしまえ。だが、一体罪人を誰に処刑させたものか ? 我が口を通して皇帝陛下が下した判決に従わせねばならんからな」
 みんな黙ったままだった。自ら進んで執行人の名乗りをあげるものは出なかった。フェスケンニウスは周りを見回した。誰でもが目をそらした。がついに、彼の目は階段の下に立ったままでいたチュバルデュスのところで止まった。ひきつるような笑みが総督の表情に浮かんだ。
 「よし、そこの芸人、お前が我の求める首切り役だ。お前は剣を呑み込むのだから、剣の扱い方を心得ているに違いない」
 「そりゃあ、俺の仕事じゃねえ」チュバルデュスが言った。
 「構わん ! 命令だ」
 「俺は自由人だ」
 「報酬は出す」
 「俺はそんなやり方で、パン代を稼がない」
 フェスケンニウスは今や真っ赤になっていた。先ほど、頑固な年寄りが自分に従わないのを目の当たりにしたばかりだったのに、またぞろ、公衆の面前で芸人風情が反抗したのだ。心中突然、彼の自尊心は、ローマの尊厳や皇帝の威厳とごっちゃになった。彼は衛兵に叫んだ。
 「あの犬野郎をここに連れて来い。言うことを聞かなければ、槍で棒叩きして骨を砕いたあと、とっつきの木に吊るしてしまえ」
 衛兵たちは、総督の怒りが自分たちの上を通り過ぎたのを見て欣喜雀躍して突進した。そのうちの四人ほどが乱暴にチュバルデュスを押さえつけた。それから、彼を押したり引きずったりして階段の上まで連れて来た。彼はまだ最後に呑み込んだダキアの剣を手にしたままだった。
 考えをまとめる暇(いとま)もないまま、このゲルマン人は裁判官の前に引っ立てられた。彼はこの小男に恐怖を感じなかった、どころか、バカにさえしただろう。だが、この男の背後に、帝国のものすごい力、よく理解できないが受け入れざるを得ない権力を感じていた。
 「切れ !」フェスケンニウスは言った。「さもなければお前が死人(しびと)となる」
 チュバルデュスは拒絶しようとした。とその時不意に、ラエルティアと、夕食をとるのが心地よいあの小さな家が目に浮かんだ。その日は暖かく、太陽は明るかった。老人は地面に跪かされ、柱の基礎に頭をもたせかけていた。
 「切れ」総督は繰り返した。
 結局のところ、この白髪の男ではなく、どうして自分が死ななくてはいけないのだろうか ? この男の命数は尽きていると言うのに。俺の権利とか、義務とかって、なんだろう ? 以前、彼は生まれ故郷の森で身を守るために人を殺めたことがあった。一体、ローマに逆らって俺はどうなるだろうか ?
 「衛兵どもやれ !」怒髪天に達したフェスケンニウスは呼んだ。
 兵隊たちが彼の周りに詰め寄った。自分を待っている、これからもずっと待ち続けることになるラエルティアが目に浮かんだ。とその時、チュバルデュスは夢の中にいるかのように、薄く滑らかな愛用の剣をくるくる回した。剣は空を切って唸りを上げ、白髪頭の首を襲った。血しぶきをあげて、首が落ちた。
 「ほらっ ! 持っていけ」総督は皮の財布を投げながら叫んだ。財布は、タイルの上で金属音を響かせた。
 叫声が民衆から湧き上がった。
 チュバルデュスは財布を拾わなかった。彼はわき目も振らずに、剣を投げ捨てて逃げた。群衆をかき分けて、一目散に走った。
 中庭で、ラエルティアは野菜の皮をむいていた。ブロンドの巨人が飛び込んで来て跪き、小さな妻の胸に首(こうべ)を埋めた。
 「俺は正しい人を殺してしまった」彼はすすり泣いた。彼の血だらけの手が彼女の空色の着物に赤色の跡を残した。
 長い間、二人は一緒に泣いた。チュバルデュスは自分の行いについて、ラエルティアは自分にもわからないある罪について。
 夜のとばりが下りた。

 街道を、柔らかな光に包まれた一つの人影が前進していた。合奏曲が聞こえたが、演奏者たちの姿は見えなかった。
 その影はチュバルデュスの家まで滑るようにやって来ると、中庭に侵入し、突然音を立てて光り輝いた。チュバルデュスとラエルティアは目をあげた。
 二人の前に、殉教したディオニシウス司教の体が立っていた。断ち切られた司教の首はその両の手に収まり、閉じられた両眼は甘い眠りを眠っているかのように閉じられていた。唇が動いた。
 「チュバルデュスよ」声は言った。「汝を許す」
 ついで司教はさらに前進して、ラエルティアの礼拝所となっていた柱の前に首を置き、ついに真の死者のように横たわった。
 「俺はキリスト教徒になります !」チュバルデュスが叫んだ。
 「私はずうっとキリスト教徒でした」ラエルティアはそう言って付け加えた。「あなた様に平和がありますように」

 カトゥリアヌスのこの小さな家の中に、チュバルデュスとラエルティアは手ずからディオニシウス司教を埋葬した。司教は、己の首を切った男に赦免を与え、埋葬してもらうために、刑場からここまで首を切られたままやって来たのだった。
 後に、ダゴベール王はこの埋葬地にバジリカ(教会堂)を立てた。この地はサン・ドゥニという名になり、ルテティアの司教の首が落ちた丘は、殉教の山・・・モンマルトルと呼ばれて、現在に至っている。

(注)ダゴベール王(602/605〜638/639) : メロヴィング朝4代目の王 革命時代に流行った『善良王ダゴベール Bon roi Dagobert』の歌で知られている。

«完»
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翻訳 | 15:17:24 | Trackback(0) | Comments(0)
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