■プロフィール

石田明生

Author:石田明生
ホームページの方もよろしくお願いします。
文学雑感、旅行記、翻訳などを載せています。

■4travel

スキピオの旅行記(写真付き)もごらんください。

■最近の記事
■カテゴリー
■最近のコメント
■月別アーカイブ

■最近のトラックバック
■リンク
■アクセス解析

■ブロとも申請フォーム
■ブログ内検索

■RSSフィード
『聖女ジュヌヴィエーヴとメダル』
 パリの物語の第二弾は、『聖女ジュヌヴィエーヴとメダル』です。やはり長いので何回かに分けて掲載します。

1. 羊飼いの娘、ジュヌヴィエーヴ

 「こっちよ、フィデル。静かにしていてよ。いけない犬ね !」
 でも、フィデルは不安げでイライラして、でたらめに羊たちをしつこく追い回していました。一方、羊は羊でまた、不安に煽られているかのように、メエメエ鳴いて、互いに身を寄せ合うばかり、小さな花が点々と咲いた柔らかな草を食もうとさえしませんでした。しかもその花々でさえ、何か大惨事でも予感しているかのように、身を縮めていたのです。
 この羊の群れの番をしている羊飼いの小娘は、四つ脚をした自分の家来がみんな、今日はどうして変なのか不思議でたまりません。八歳になったばかりのジュヌヴィエーヴは、今までと同様、ヴァレリアヌス山の麓に広がるサン・クルーの丘に羊の群れを連れて来て、草を食わせていました。ここは彼女の家からたっぷり四分の一里ほどのところです。
 この群れは、正確に言うと十匹の子羊を含めて、二十三匹ほどの群れでした。これは実直な木こりであるジュヌヴィエーヴの父親の財産のほとんどでした。父親は、遠くまで広がる、抜け出るのに何日も何日もかかるほど大きな森で働いていました。母親は三年前に亡くなっていたので、ジュヌヴィエーヴはちょっとした家事仕事をしたり、大好きな動物たちの世話をして父親を手伝っていました。

(注) ヴァレリアヌス山: パリのすぐ西にある小高い山、現在ヴァレリアン山と呼ばれる。


 西暦四二三年のサン・クルーでは、牧草地に事欠きませんでした。丘全体が、セーヌ川から森の始まる丘のてっぺんまで牧草で覆われていたからです。丘のてっぺんはジュヌヴィエーヴのお気に入りの場所でした。そこが他よりも牧草に恵まれていると言うのではありません。森や狼が怖くて羊飼いの女たちがしょっちゅうここにやって来たのもそういう理由からではないのです。ジュヌヴィエーヴは森も狼も怖くありませんでした。森のことなら父親の話を聞いて熟知していましたし、狼は、林の中で獲物が見つからない冬にしか、森のはずれまで足を伸ばさないことを知っていたからです。今は七月の真っ只中、狼先生たちにとってこの時期獲物はたっぷりあるのです。
 この場所にジュヌヴィエーヴを何よりも惹きつけたのは、丘のてっぺんからパリを一望することができたからでした。ところでジュヌヴィエーヴはパリが大好きだったのです。一度も行ったことはありませんでしたが、父親が、助祭をしているシモンという義兄のところを訪ねるために一度丘を降りてパリに行きました。その時父親が彼女に語った町の素晴らしかったことと言ったらありませんでした。宮殿、教会、商店街、円形闘技場、これら全てがこの素朴な男に、父と娘が共に抱いた絶大な印象を植え付けました。
 頂から、ジュヌヴィエーヴは二つの丘まで伸びる広大な二つの城外聚落を取り囲む町の土塁や、市街地とその周りの聚落を結ぶ橋を眺めていました。町の中心にある総督の宮殿も、左岸にある大庭園付き皇宮も見て取れます。
 今日ほど、視界がはっきりしたことはありませんでした。
 夢中で眺めている時、羊の群れや犬のフィデルのいつもと違う振る舞いに、どうして彼女は煩わされることがありましょうか。
 ところが実際は、動物の本能は八歳の小娘の知恵よりも優れていますから、動物たちに理があることを知らせに自然現象は起こりました。彼女の知らないうちにもくもくと何層にも重なった黒雲から、いきなり稲光が炸裂して、大粒の雨が降り始めたのです。
 ジュヌヴィエーヴは羊飼いの杖を拾い、腰掛けていた岩から身を起こしました。号令の必要はありません。羊たちは何も言われなくとも頭を低くして押し合いへし合いしながら家路に着きました。フィデルが吠えたのも形ばかりで、すぐにチビの女主人に身を寄せにやって来ました。
 爆走する羊の群れを追い駆けて、親ほどには速く走れないので必死になってメエメエ鳴きながら走る子羊たちを追い駆けて、ジュヌヴィエーヴも短かい脚で目一杯走りました。それでも追いつくまでには至りません。雨は狂ったように降り始め、ついに雹混じりとなりました。ジュヌヴィエーヴはスカートを頭に被り、少しでも身を守ろうとしました。
 小屋に着いた時には全身びしょ濡れでした。羊たちは羊小屋に殺到し、フィデルは、家に帰った旦那然として、家の扉を押し開けました。扉に鍵をかけたことはありません。貧しい木こりの家など、見てくれで盗みに入る気になりません。
 ジュヌヴィエーヴは囲炉裏で乾かせると思って嬉しそうにフィデルの後に続いて入ろうとしました。とその時、背後で急ぎ足の足音が聞こえました。振り向くと、長いマントを羽織り、榛(はしばみ)の杖を持つ二人の男が暴風雨の中、身をかがめて歩いているのが見えました。二人は家を見て、やり過ごそうとしていました。先は森沿いの悪路が続いています。父親やフィデルや羊たちにしか、せいぜい自分と同様の羊飼いの小娘にしか言葉をかけたことがなくて、見知らぬ人に話しかける気など起きないジュヌヴィエーヴは、それでも思い切って二人を呼び止めました。
 「旦那様がた !」
 男たちは立ち止まりました。
 「ここにお入りください、旦那様」大急ぎで言い足しました。「着物を乾かしてください」
 旅人は身振りで応じました。雷雨は唸りを上げ、雹で周り中が白い布切れを広げたようでした。彼らは藁葺きの家に入りました。ジュヌヴィエーヴが赤い燠に小枝をくべると、火がパチパチ勢いよく燃え上がり、男たちや羊飼いの小娘の衣服から湯気が上がりました。客人に場所を譲るために離れたところにいたにもかかわらず、お利口なフィデルの毛むくじゃらな背中からも湯気がたっています。
 二人の男の人はかなり年配でしたが、がっしりとしていて高潔な感じでした。軍人ではありません。いかなる武器も身につけていません。持ち物は歩くのに役立つ榛の杖だけでした。
 二人は物を言いませんでした。が、小さな女主人を優しく見つめていました。女主人の方は、パン籠から少し乾いたパンを取り出し、ヤギのチーズに手を伸ばしました。旅人にその粗末な料理を出します。
 「これしかありませんが」彼女は言いました。
 「これ以上の好物はござらん」年長者の方が言いました。
 二人は食べました。
 陽が再び顔を出し、そのまばゆい光は濡れた木の枝をキラキラ輝かせます。雨はもう降っていません。旅人は立ち上がりました。
 「わしらは先を続けなければなりません」先ほど口をきいた人が言いました。「娘さん、わしらにしてくれたおもてなしに感謝しますぞ。善良な心からしてくれたのじゃな」
 「なんという名前かな ?」もう一人が言いました。
 「ジュヌヴィエーヴと言います」
 「そうか ! ジュヌヴィエーヴ」最初の男が再び言いました。「わしらはあんたに何の贈り物もできない。この世の財産を自らの意思でかなぐり捨ててしまったからな。じゃが、この銅製のメダルを記念としてあんたに残していこう。ここには<贖罪>の印が彫られている。常にこれを身につけていなさい。これ以外のどんな装身具も身につけてはいけない。これさえあれば、我が主イエス・キリスト様の御目にあんたは美しゅう映るだろう」
 旅人は彼女にメダルをかけると、二人とも祝福の印に手をあげました。
 「父と子と聖霊の名において、我汝を祝福す」最初の人が言いました。
 「我汝を祝福す」二人目が言いました。
 「かくあらしめたまえ」ジュヌヴィエーヴは敬虔にも答えました。
 「わしはルー、トロワの司教です」
 「わしはジェルマン、オーセールの司教です」
 そう言って、二人は日差しの中、立ち去りました。羊飼いの娘、ジュヌヴィエーヴの家に立ち寄ったのは、清貧の誓いを立てたサン・ルーとサン・ジェルマンだったのです。彼らはウェールズの国に福音を届けに行く途中でした。

(注) <贖罪>の印とは十字架のこと
スポンサーサイト
翻訳 | 15:47:46 | Trackback(0) | Comments(0)
コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

FC2Ad