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石田明生

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聖女ジュヌヴィエーヴのメダル(3)
抵抗の町(2)

 翌日、町は不安を抱えたまま目を覚ましました。人々は、町中から郊外から、四方八方からやって来て情報を知りたがりました。普段住民たちの集会場になっている聖母マリア教会堂前の広場、そこは総督の宮殿の向かいでもありましたが、その広場はやがて町中の住民でいっぱいになりました。
 露店は閉められ、酒場も空っぽでした。どの人の顔も苦渋に満ちていました。たまたまレギオン隊の兵士が広場を通りかかると、みんなは彼を質問ぜめにしました。された方はのらりくらりと返事をしていましたが、密かに味わっている恐怖を分かち合う市民に対してやせ我慢の強がりをしようなどとは思いもよらないことでした。
 住民たちの中には、夜のうちに町に入って来た戦場からの避難民がいましたが、彼らは、目撃したことを語って、パリの住民たちを完全に慄い上がらせてしまいました。
 「馬匹どもは血の海の中を歩いてんだ ! 騎兵どもは雄叫びをあげながら略奪してやがるが、あの声は罰当たりを言っているにちげえねえ。」


 人でいっぱいの教会堂の中で、テオドール師は臨終の祈りをあげていました。聖壇の足元には奉納品が山と積まれています。富裕な市民たちは今後いらなくなる財産の一部を運び込んでいたのです。彼らは自分たちの生命を守ってくれるよう主にそれを捧げていました。女たちは身ぐるみ宝石を剥がしましたが、それは奉納物として敷石の上に散らばっていました。
 教会の中でも広場でも「アッティラだ ! フン族だ ! 天罰だ !」という叫び声が飛び交っていました。子供達は恐慌状態に陥って泣いていました。
 この苦渋に満ちた群衆の中に突然身震いが走りました。重々しい宮殿の扉が開いて、アエティウス総督が出てきたのです。彼は戦さ支度をしていました。甲冑をまとい、手には指揮棒を持ち、肩の上では、軍の階級を示す赤いマントが翻っていました。腕や顔に残る傷跡が、鎧につけている紋章よりも、彼の戦場での戦いぶりと戦士としての存在感を雄弁に物語っていました。
 彼はレギオンの先頭に立とうとしているのでしょうか。頭上に鷲印を付け、ローマ帝国が皇帝を失っているとはいえ、死に体ではないことを野蛮人どもに見せようとしているのでしょうか。
 上官たちが彼の周りを取り巻いていました。その中に、兵士というには程遠いほど青ざめて引きつった顔をしたカルカス隊長がいました。彼のひ弱な体は重たい武具で押し潰されているように見えました。総督のすぐそばで、見たこともない一人の男が総督と親しげに話をしていました。その男は、風変わりな仕方で短い皮の上っ張りを着、脚はフランク族風にズボンをはき、バンドで締め付けていました。また彼は革靴を履き、被っている毛皮の帽子から、長い黒髪がはみ出ていました。
 だが一番奇妙なのは男の顔つきでした。頬骨が突き出て、黄色い肌をした幅広の顔に、せわしなく動く切れ長の目が光っていました。鼻はひしゃげているようで、横長の口が、桁外れに長い真っ黒な歯の上でパクパクしていました。
 彼はラテン語を話しているに違いありません。というのも、総督は彼の言うことがわかっているようですし、会話が成り立っていたからです。
 アエティウスはいつも演壇として利用していた石の台座の方に向かいました。従って、彼は人民に演説をしようとしていたのです。人民を守るため直ちに出発しようとしているのではありません。不安がさらに重くのしかかりました。彼は何を言おうとしているのだ ? 良い前兆とは思えませんでした。
 ゆっくりと総督は石段を登り、台の上に立ちました。見知らぬ男は一段目のままです。
 「パリの者たちよ、現在の恐ろしい状況をみんなに知らせるまでもないだろう。ひと時後、せいぜいふた時後には、アッティラはわが町の城壁に達することだろう。昨日、奴原はメルドゥム(現在のモーの町)を焼き払った。今は、ヴィルセンナ(現在のヴァンセンヌ)を同じ目に会わせている最中だ。斥候どもが余にその忌まわしい知らせを届けに来たのだ。」
 すすり泣きのような声が民衆の中で起こりました。アエティウスは続けました。
 「二つの道が余にと言うより、我々に示されている(困難な状況下において、臆病なリーダーというものは、自分の決定の重みを他者と分け合うのが好きなものだ。事態が好転した時、その栄光を独り占めにするためにだが)。我々は、町の防衛戦を戦うか、侵略者の度量の広さをあてにするか、どちらも可能だ。」
 「ああっ、どうしたら ! ああっ !」群衆はため息をついていました。
 「防衛戦をするには、歴戦の兵(つわもの)が多数必要だ。が、我が方はレギオン隊をひとつしか展開できない。しかもその隊は不完全で、先の戦いで疲労困憊した兵士を多数抱えている。」
 アエティウスは口にしませんでしたが、民衆が熟知していることがありました。それは、パリに宿営しているレギオン隊は、覇気のない隊長の指揮下にあって、ろくに訓練もしていないということ、そして古来の規律をほとんど守らない、あらゆる民族からの寄せ集めの兵士たちは練兵場よりも飲み屋で時間つぶしをしていたということです。
 沈黙の一呼吸の後、総督は続けました。
 「反対に、アッティラの軍は数知れないほどだ。ここにいる旅人ブレダ殿は、危うく奴らの犠牲になりかけたことがあったのだが、兵士の数が五万以下ではあるまいと見ている。それも、御者や奴隷や小姓を数に入れずにだ。」
 見知らぬ男は大きな頭を断固として上下に動かし、諾(うべな)いました。驚愕の叫び声が一筋走りました。
 「だから、我々がしようとしている戦いはあまりに多勢に無勢すぎるので、確実にこちらは粉砕されるだろう。フン族とその首長は、抵抗に合って逆上し、間違いなく町を略奪し、住民を皆殺しにする。逆に、門を開け放ち、抵抗のての字も見せなければ、アッティラはおそらく機嫌を損ねることはない。お前たちのこの町の偉大さ、これら建築物の数々、この町の過去の栄光、これを見て彼は心動かし、恭順のもてなしに気を良くして、きっとあの凶暴性を脱ぎ捨てるだろう。我々は皆命が救われると期待できる。」
 民衆からはつぶやき声も無くなりました。皆の顔から、陰鬱な落胆の表情が窺われました。
 「余自身、皆の運命とともにしよう。余はこの地位を捨てるつもりはない。もし、生贄が必要なら、余が最初になろう。まもなく使者が出る。アッティラの言葉に精通しているブレダ殿が案内を買って出てくれた。その使者が我々の決定を首長に告げるだろう。他に取るべき解決策はないのだ。」
 演説の最初の時と同様のすすり泣きが民衆から起こりました。アエティウスは、まるで同意を得ようとするかのように見知らぬ男の方を振り返りました。今度は男が口を開きました。彼の声は、甲高く取ってつけたようで、rの音を転がしsの音をシュウシュウさせて不快でした。
 「パリの皆さん、皆様方の総督は賢明な言葉を発しました。あの野蛮人どもを間近で見てきた私を信じてください。降伏だけが皆さんを救うことができます。他のいかなる態度も災厄を招くことでしょう。」
 「何か考えのあるものはいないか ?」アエティウスは石の台座から降りようとしながら言いました。
 死の沈黙が広場を覆いました。男たちは泣き、女たちは子供を胸にぎゅっと抱きしめていました。誰ひとり意見を述べようとはしませんでした。普段あんなにもおしゃべりだったパリ人たちは皆黙ったままです。
 皆、ではありません。誰かが群衆をかき分けて、最前列に向かって来ました。その誰かとは、白くて長い服を着、黒い外套を羽織った女でした。彼女は決然とした足取りで前に進みます。すると群衆は道を開けてやりました。それはジュヌヴィエーヴでした。
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翻訳 | 05:19:12 | Trackback(0) | Comments(0)
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