■プロフィール

石田明生

Author:石田明生
ホームページの方もよろしくお願いします。
文学雑感、旅行記、翻訳などを載せています。

■4travel

スキピオの旅行記(写真付き)もごらんください。

■最近の記事
■カテゴリー
■最近のコメント
■月別アーカイブ

■最近のトラックバック
■リンク
■アクセス解析

■ブロとも申請フォーム
■ブログ内検索

■RSSフィード
聖女ジュヌヴィエーヴのメダル(5)
◇カタラウヌムの戦い

 アッティラはパリ占領を諦めて、東へと転進しました。彼はシャンパーニュの平原に野営地を設置したのです・・・その野営地の遺跡は現在も残っています。«アッティラの野営地»と呼ばれ、シャロン・シュル・マルヌ近郊にあります・・・。彼はそこから出撃して、近在の村や町を頻繁に略奪しました。
 アエティウスはその略奪行為に終止符を打ち、アッティラをガリヤから追い出そうと決心しました。そのために、彼は国のいたるところに駐屯しているレギオン部隊を集結させ、フランク族のメロヴェ王とヴィジゴット族のテオドリック王に助勢を求めました。
 四百五十一年六月二十二日、この三軍は、アエティウスの指揮のもと、フン族と一戦を交えるために集結しました。フン族も陣地から出撃して、カタラウヌムの野で会戦は起こりました。
 この戦いを描き切ることは不可能です。双方の部隊は、比類ない凶暴性の虜となってぶつかり合いました。蛮族どもが獅子奮迅のごとく戦ったことは認めねばなりません。しかし、フランク族やヴィジゴット族の兵やローマのレギオン兵達は、フン族が犯した罪を目の当たりにしていので、呵責なき憎悪で煮え繰り返っていました。彼らは、アッティラの哀れな犠牲者達の復讐に燃えていたのです。
 殺戮によって戦場を流れる小川が血の急流に変じたとは年代記作者の謂です。
 テオドリックは戦闘の最中で命を失いました。が、夜になると、アッティラは潰走しました。荷や車を打ち捨て、何千という死者や負傷者を大地に残したまま、ライン川の方面へと敗残兵とともに落ち延びました。


 その打ち捨てられたもの達の中に、死に瀕した、頭でっかちの小男が横たわっていました。前に一度出て来た男、アッティラの実の弟ブレダです。彼は、フン族の犠牲者を装い、恐怖に襲われた民衆を意気阻喪させ、指揮官の勇気を削ごうとして、パリにやって来ました。もし、ジュヌヴィエーヴとその奇跡的な発言がなければ、成功したかもしれないことは見て来た通りです。
 ブレダは二十箇所の傷から出血をし、激しい渇きにさいなまされながら、その苦しみから解放してくれる死を待っていました。
 不意に彼は幻を見ました。一人の女が彼の前にいます。その女を二月のパリに見たことがあったので知っていました。彼女の白い服は黒いマントに覆われています。
 その表情には苛立った様子はありませんでした。
 それでも彼女は言いました。「ブレダよ、なにゆえ汝は裏切り者の役をして町に入り込んだのですか ? 汝は正々堂々とした敵としてではなく、間者として振る舞いました。その罪は重い。」
 彼は弁明するため答えようとしました。が、熱を帯びて乾ききった彼の口から声は出ませんでした。
 ジュヌヴィエーヴは彼の上に身をかがめました。とどめを刺そうというのでしょうか ? いいえ、彼女はさらに彼の顔に近づきました。
 「ブレダよ、」彼女はほぼ一息で言いました。「キリストがその敵をお許しになったように、私は汝を許します。」
 すると、彼女の指の先端に一つのメダルが見えました。小さな貧しい銅のメダルです。そのメダルには十字の印がついていました。彼女はそのメダルを瀕死の男の口の上に置きました。するとたちまち激しい渇きは雲散霧消して、えも言われぬ清々しさに変じました。
 こうしてフン族のブレダは、安堵の息を一息つくと、静かにこの世を去りました。

--- 完 ---
スポンサーサイト
翻訳 | 08:35:49 | Trackback(0) | Comments(0)
コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

FC2Ad