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石田明生

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誕生日(映画『サラの鍵』を見る)
 昨日、11月2日は69回目の誕生日だった。フランスのカレンダーを見ると11月2日は「Défunts(死者)」の日となっている。だからと言って自分の誕生日が嫌だというわけではない。仲間が、東京のレストランで祝ってくれた。祝われるほどのことでもないが、みんなは単に集まって飲みたいのだろう。花をいただいた。ありがたく、玄関に飾ってある。
 飲み会が17時からだったので、せっかく東京まで足を運ぶならと、六本木ヒルズにあるアリーナというところで、映画を見た。野外スクリーンということで、色々と心配だったが、寒さもひどくなく、まあまあ快適に鑑賞できた。
 映画の邦題は『サラの鍵』といい、原題は«Elle s'appelait Sarah»だった。時代はフランスがナチス占領下の頃、一斉に行われたフランス人によるユダヤ人狩りにあった少女サラの物語と、21世紀の現在偶然そのユダヤ人の家に関わることになった女性ジャーナリストの好奇心と探究心、及び彼女自身の生活との二重唱で物語は展開する。「サラの鍵」は、少女が弟を匿おうとして秘密の納戸の中に押し込んだ時の鍵のことだ。


 サラと両親は、納戸に弟を置いたまま、冬の自転車競技場(有名なヴェル・ディヴだ)に連れられてしまう。サラは、納戸の鍵を握りしめたままだ。このままでは弟は死んでしまう。けれども、脱走など思いもよらない。三人の家族はバラバラにされ、サラはパリから約100キロ離れたロワレ県の Beaune-la Rolande の収容所に連れて行かれる。子供達だけのキャンプだ。彼女が考えることはただ1つ、弟のこと。納戸からうまく脱出していればいいが、もし出られなかったら?
 そして、ついに彼女は収容所から逃げることができた。親切な老夫婦に助けられて、パリのマレー地区にある彼女の家に行く。そこには二日前から、ある家族がすでに住んでいた。その家族こそ、主人公のジャーナリストの夫の祖父母や父親の家族だった。サラは、猛烈な勢いで納戸に行き鍵を開ける。中は・・・

 このブログで取り上げたことのあるジャン=ジャック・ゴールドマンの歌 Comme toi をどうしても思い出してしまう。Elle s'appelait Sarah とは、まさにこの歌の一節ではないか。と思って久々 You Tube を見たら、この歌に映画の場面を貼り付けている人がいた。

https://www.youtube.com/watch?v=f_QpOQLWnqM


 映画のいくつかの場面を見ながら歌を聴くとまたまた感慨は新たになる。

 ジャーナリストのジュリアはその後もサラの足跡を訪ねて、フランスだけではなく、アメリカにまで行く。もとより、ジュリアはアメリカ人だったのだが・・・結局、サラは、アメリカで結婚し、子供をもうけてはいたが、40年も前に自動車事故で死んでいた。最後に、それは事故ではなく、鬱病からの自殺だったことがわかる。一粒種のウィリアムも今は50代になっているが、ジュリアのおかげて母親の真実を知ることができた。高齢出産の結果ジュリアは女の子を授かり、その子にサラという名を付ける。
 つまり、邦題の『サラの鍵』は、弟を納戸に置き去りにした少女の苦しみに重点が置かれたタイトルと言える。対して、原題の『サラという名だった』は、ユダヤ人女性の典型的な名前である「サラ」という名が帯びた苦難と悲しみ、すなわち彼女たちの歴史と宗教に比重をかけているのではないだろうか。アブラハムの妻サラが息子イサークを産んだ時、90歳は過ぎていたはずだ。これは高齢出産なんていうものではないが、映画で、夫ベルトランに中絶するように言われても、主人公のジュリアが45歳を過ぎて断固高齢出産をし、子供にサラという名を付けたのは偶然ではないだろう。ちなみに、ベルトランとは離婚している。
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映画評 | 17:55:55 | Trackback(0) | Comments(0)
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