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石田明生

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鴎外『うたかたの記』を読む
 先日、学校に行くのに、車内で読む文庫本がなかったので、「鴎外選集」の第1巻を手に取った。これは、新書版と同様の大きさなので持ち運びには便利だ。実は、かつて老後用にと思い、漱石、鴎外、龍之介の全集(鴎外は選集)を揃えておいたのだ。当時彼ら三巨匠の作品は齢を重ねた後で読むと、またそれぞれの味があるに違いないと思ったからだ。そのための作家としては、ドストエフスキーとトルストイ、またカフカの全集も揃えてある。これら高価な本は全て大学院時代に受け取った奨学金で買ったものだ。今思うと、前者の日本作家の全集についてはそうでもないが、後者のロシア作家については、若干後悔の気味がある。今では、新たな翻訳が出てきたからだ(特にドストエフスキーについては)。
 というわけで、龍之介と漱石の全集は大判なので車内持ち込みには適していない。そこで鴎外にした。有名な『うたかたの記』を通勤中に読み出したが、やはり鴎外に対する読書姿勢というか味わい方というか、要するに読みの視線が若い頃と全く違うことに驚いた。まずはとっつきにくかった文語体の文章がかくも美しかったのかと感動した。また、そこに出てくるなじみのない単語の意味(もちろん、あとで辞書を引いた)も興味深かった。例えば、これは『うたかたの記』ではなく、また文語体でもないが同収録の短編『大発見』に出てくる単語「椋鳥」の場合がそうだ。「ムクドリ」は、我が家の周りにもやたら繁殖して、その鳴き声はうるさいほどなのだが、鴎外の作品ではこのような表現となる。

<僕が洋行した時のことである。僕は椋鳥として輸出せられて、伯林の真中に放された。>(p.146)


 もしかしたら、僕は自分の国語能力の低さを露呈しているのかもしれない。どなたも「椋鳥」の意味をご存知なのかもしれない。が、この一文に出会った時、一瞬めまいがするほどのショックを受けたと同時に、日本語の美しさに感じ入った。ムクドリという単語の後に「伯林」という、林のイメージを持つ漢字書きの都市名が出てくるこの妙さ。これが今風に「ベルリン」とカタカナであったなら、この読感を覚えはしないだろう。蛇足を承知で言うなら、「椋鳥」とは、極東から西洋に行く「田舎者」の意味で使っているらしい。当時のインテリの思いがにじみ出ている感がする。
 前置きが長くなった。
 『うたかたの記』の舞台は現在のバイエルン、時代は狂王ルートヴィッヒの末期、といっても作者鴎外にとっては同時代であり、いわば舞台を西洋にとった現代小説とも言える。画家の巨勢は6年ぶりにミュンヘンの画学校に戻ってくる。彼は画塾の仲間たちに、6年前にこのミュンヘンで出会った菫売り(「菫花うり」と表現されている)の少女の話をする。その12・3歳と思える可憐な少女の容貌が忘れがたく、彼は後に描くローレライにせよギリシャの美女にせよ必ずその菫売りの面影が入ってしまうほどだった。この度再びミュンヘンに戻ってきたが、さてその菫売りはどうなったのだろう。すると、画塾の仲間たちの中に希代な振る舞いをするので「狂人」というあだ名をつけられたモデルがいたが、その女が「私がその菫売りだった」と言って、巨勢の額に接吻をした。驚愕した巨勢だったが、仲間達が「あれは狂人だ」と言って、その場を解散する。
 1週間後、再びモデルのマリイと会った巨勢は、マリイの身の上を聞く。
 彼女はルートヴィッヒ王の有名な宮廷画家の娘だった。彼女が12歳頃、宮廷に招かれていた父と母に突発的な不幸が起こる。こともあろうことに王はマリイの母親(やはりマリイという)に懸想して、思いを遂げようとしたのだ。それを止めようとした夫は王を押し倒して打擲され怪我をする。マリイの両親はその後冷遇され、間も無く相次いで亡くなる。両親に財産がなかった少女マリイは零落して、菫売りに身を落とす。
 漁師の世話になりながら英国人の小間使いとなり、その家の書物を読み漁って教養を身につける一方、つてを見つけ、画家になる願望を密かに成就するためにモデルとなる。こうして、再び巨勢と出会ったのだ。
 二人は、育ての親ともいうべき漁師のいるスタルンベルヒ湖に行く。ボートに乗って湖面を進むと、岸辺に、なんということだろう、ルートヴィッヒ王がマリイを見て驚愕し、正気をなくしたように入水して近づいて来るではないか。王を止めようと侍医が縋り付くが、二人はそのまま溺れ死んでしまう。マリイはマリイで「彼は王なり」と叫び、ショックでボートから落ちて、杭で胸を打ち、やはり死に至る。狂王となったルートヴィッヒは医師と共にここで療養していたのだ。王は母親と生き写しのマリイを見て、熱情が再燃し女を追い求めた。
 当時も現在もルートヴィッヒ王とその侍医の死は謎となっているが、作者は王の狂恋にその理由を求めたと言える。
 興味深いのは、彼女が水死した時の様子を巨勢は次のように言っていることだ。

 <をりしも漕来る船に驚きてか、蘆間を離れて、岸のかたへ高く飛びゆく蛍あり。あはれ、こは少女が魂の脱け出たるにあらずや。>

 水面を飛んで行く蛍に女の魂を託すこの描写は、やはり日本人作家の筆によるからだろう。ドイツに蛍が本当にいるかどうかはさておき、この描写は極めて日本的ではないか(いま、ネットで簡単に調べたら、ドイツにも蛍はいるらしいので、レアリスムには反していない)。
 虫といえば、マリイのセリフに次のような一文がある。

 <悲しきことのみ多ければ、昼は蝉と共に泣き、夜は蛙と共に泣けど、あはれといふ人もなし>(p.43)

 まるで和歌のような美しいセリフだが、ふと考えた。果たしてバイエルンの人にとってセミは身近な存在なのだろうか。以前ここにも書いたが、オランダやイギリスの人たちにとって「セミ」という単語はあまりに馴染みがないので、イソップの『蝉と蟻』を導入する時、『アリとキリギリス』に変えたほどだった。事実、フランスの北部には絶対にセミはいないが、南フランスには馴染み深いものとしている。ファーブルがその昆虫記に書いているほどだ。
 そこで、毎週会う二人のドイツ語の先生に「ドイツ語でセミはなんて言うんですか?」と訊いて見た。両先生とも、「なんて言うでしょう」といって、やおらスマホの独和辞典で調べだした。もうそれだけで十分だった。つまり、「セミ」という単語はドイツ人にとってあまり日常的な語ではないということだ。事実お二人とも、セミの学名を教えてくれた。
 1880年代のマリイが、おそらく見たこともないセミの学名を使ってしゃれた文句を言うとは到底思えない。やはり、ここは日本人鴎外の、舞台の環境を無視した日本語的表現だったと言わざるを得ないだろう。百歩譲れば、19世紀のドイツ語に今は廃れた「昼は蝉と共に泣き、夜は蛙と共に泣けど」という決まり文句があったのかもしれない。マリイは自身も言っているように、博学の徒だったからだ。
 ところで、カエルはドイツにいるのだろうか。ひとりのドイツ語の先生は言下に「グリム童話に出てきます」とおっしゃった。確かに・・・

『カエルの王様』『カエルの王子』などなど
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雑感 | 11:15:14 | Trackback(0) | Comments(0)
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