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石田明生

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春が来た・・・公園のトイレの張り紙に仰天・・・
 やっと春が来た。今年の冬はひどい寒さだったので、春がひとしお待ち遠しかった。
 好天に恵まれた昨日、おむすびとお稲荷、マカロニサラダと生ハム、赤ぶどう酒とカマンベールを持参して、昭和記念公園に赴いた。入口から続く銀杏並木の遊歩道はまだまだ冬の装いだったが、少し先の丘では、様々な名前を持ったチューリップ(早咲きの「アイスチューリップ」だ)や、真っ白な花をまとった木蓮が満開だった。

アイスチューリップ 真っ白な木蓮



 丘を越えると、水の干上がった川(名前はあるのだろうが)の川べりの桜が五分咲きで出迎えてくれた。桜の種類にもよるのだろう、ソメイヨシノはまだまだ五分咲きだったが、寒緋桜は満開を過ぎ、修善寺寒桜は満開だった。だから、この川べりの桜は白と言うよりは赤と言う印象だ。ここは小鳥たちの王国でもある。シジュウカラが桜の花の蜜を吸っているのか何羽か戯れていた。

シジュウカラ

たぶんシジュウカラと思うが、中心より少し右にいる。落ち着きのない鳥なので捉えるのが大変だった。

 鶯の声もひっきりなしに聞こえてくる。正午前で、昼食にはまだ早いが、お腹はすいたし、喉が渇いた。草地にシートを敷いて、持参した食べ物を並べる。そこで一句。

ぶどう酒に カマンベールと ホーホケキョ


 食後はポカポカ陽気に誘われてシートの上でウトウトと桃源郷に入ってしまった。
 昼寝の後は、春を求めて公園中を散策した。とはいえ、この公園はとても広いので、くまなく歩くことなど不可能だ。あくまで春の花を目当てに歩く。

クロッカスの花 イチリンソウ
クロッカス       イチリンソウ
ヒヤシンス 原種系チューリップ
 ヒヤシンス         原種系チューリップ

 草花は可憐で愛らしく、心を和ませる。子供広場に近いのだろうか、子供たちの声がなんの遠慮もなくかん高く聞こえ、けたたましい泣き声が耳をつんざく。それでも草花にカメラを向け、花を愛でていると、家庭内や電車内と違って煩わしく感じない。かえって楽しいくらいだ。

サンシュユ キブシ 赤い馬酔木の花
サンシュユ            キブシ             馬酔木


 我が家にも馬酔木はあるが、白い。いただいたときはやはり赤かったのだが、だんだん白くなってしまった。どうしてだかわからない。この公園の日本庭園には、赤白取り混ぜて、馬酔木の木が断然多い。馬酔木の花は寡黙な薄化粧の女のようで、どれほど多くても気にならない。その控え目さが好きだ。

 この日本庭園だけは別格らしく、入り口に次のような注意書きがあった。

注意書き

 最近テレビを見て思うのは、丁寧語のデタラメな乱用がやたらと多いことだ。たとえば、用もないのに「させていただきます」と言う。ひどいものに至っては、コンビニの店員が、万引き男のことを話しているときにも「させていただきました」と言っていた。この日本庭園の注意書きには「ペットのご同伴はご遠慮ください」とある。「ご同伴」はやりすぎではないのか。単に「ペット同伴は」では乱暴に思われたのだろうか。
 もっと言ってしまえば、一昔前のように「喫煙禁止」「飲食禁止(ただし熱中症対策用の水分は別)」「ペット同伴禁止」とした方がはっきりしていて良いのではないだろうか。「ご遠慮」では、図々しい人は遠慮をしないかもしれない。
 こんな注意書きなどにいちいちイチャモンを付けても仕方がないが、この公園のトイレ入り口の張り紙には呆れかえってしまった。と同時に、何か嫌なもの、おそらく日本人的ないやらしさと言ってもよいような、猛烈な違和感を感じた。

トイレ掃除の名前

 何時何分にトイレ掃除をしたと明記されているだけでも、なんとなく違和感を感じるのは僕だけだろうか。毎朝か毎夕か知らないけれども、毎日しっかり掃除していればよいことで、何時何分に掃除したと言う必要があるだろうか。書き手にとって欲しい情報は、汚れていた場合の情報であって、時間ではないだろう。トイレの使用者が、汚れていた時に苦情を言うなら、その内容は「汚れ」のことだろう。もちろん苦情を言うとき「いつ掃除したのだ! トイレが汚いぞ」と言うかもしれない。しかしその「いつ」は一種のレトリックで、苦情を言う人は掃除した時間を訊きたいわけではない。
 まして、「イノウエ」と掃除した人の名前が明記されているのは、不健全ささえ感じる。使用者は、もしも苦情を言うことがあり、実際に言ったとき、なにを相手に対してして欲しいのか。トイレの掃除人の名前など全く知りたくもない情報だ(「トイレが汚いぞ! 掃除をしたのはイノウエというやつか。そいつを出せ」などとは決して言わないだろう)。どなたが掃除したかなど問題ではないからだ。この張り紙の不快さは、雇用者と被雇用者の関係とか、公務員とアルバイトあるいは派遣との関係とか、色々想像させることにある。「イノウエ」という人は、もしかしたらこの公園の職員(公務員)かもしれない。もしそうなら、他のトイレもそれぞれの名前が明記されていたから、職員の方たちが総出でトイレ掃除をしていることになる。馬鹿らしい。そんなことはありえない。もちろん名前を書かせることによって、掃除人に責任を持たせようという腹づもりなのだろう。が、それを使用者に知らせる必要は、やはりないだろう。
 以前、京浜線に乗っても、山手線に乗っても、運転手が名前を名乗って自己紹介していたことがあった。それを聞いた時も唖然とした。乗客たちは、電車を運転している人の名前など知りたくもないのだ(旅客機のように運命共同体になっているわけではない)。馬鹿馬鹿しいことだ。幸いなことに今は名乗らなくなったので、ほっとしている。
 昭和記念公園にはトイレがたくさんあって、しかもきれいで素晴らしいと思う。フランスの公園・庭園も見習ってほしい。が、掃除した時間はまだしも、掃除人の名前を明記するのは、病的だと思う。
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日常スケッチ | 15:24:24 | Trackback(0) | Comments(0)
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