■プロフィール

石田明生

Author:石田明生
ホームページの方もよろしくお願いします。
文学雑感、旅行記、翻訳などを載せています。

■4travel

スキピオの旅行記(写真付き)もごらんください。

■最近の記事
■カテゴリー
■最近のコメント
■月別アーカイブ

■最近のトラックバック
■リンク
■アクセス解析

■ブロとも申請フォーム
■ブログ内検索

■RSSフィード
フランスで強制連行された一万一千四百人の子供たち
 2007年3月12日
 
 パリ市庁舎(オテル・ド・ヴィル)で、ドワノー展が開催されているという噂を聞いて、ちょっとレトロに浸りたい気分だった僕はさっそく市庁舎に直行した。が、どこにもドワノーはない。終わっていたのだ。
 すでに次の展示会が開催されていた。

掲示板.JPG

 それがこの「フランスで強制連行されたユダヤの子供たち」展だった。レトロは吹き飛び、恥ずべき人間の犯罪が眼前にあった。
 フランス人にとっても辛い過去だ。なにしろ被害者であり加害者であったのだから。セルジュ・クラスフェルドの執念は実った。彼は強制連行された一万一千四百人の子供たちの生前の写真を、屈託のない少年少女たちの写真を集めたのだ。


 パリ市主催のため、入場料が無料というだけではなく、入り口で60歳代くらいの上品なマダムがあいさつし、70ページほどのパンフレットを渡してくれた。
 会場に入ると、最初に目に入ったのは、パトリック・モディアノの傑作『ドーラ・ブリュデール』のドーラの一家の写真だった。活字でしか知らなかった、少女ドーラが目の前にいた。

ブリュデール.JPG
【エルネストとセシール・ブリュデールにはさまれたドーラ】


 モディアノの小説は次のように始まる。


 八年ほど前になる。一九四一年十二月三十一日付けの古新聞「パリ・ソワール」を手にとっていたら、ふと三ページ目の『昨日・今日』という欄に目が止まった。その最後の部分を読んでみた。

《パリにて
 ドーラ・ブリュデールという少女を探しています。年齢十五歳、身長一メートル五十五センチ、瓜実顔、灰褐色の瞳、灰色のカジュアルコート、ワインレッドのセーター、ブルーマリン色のスカートと帽子、茶色のシューズ。どんな手がかりでも結構です。ブリュデール夫妻のもとにお知らせ下さい。オルナノ大通り41番地、パリ》

 この、オルナノ大通り界隈なら、私は古くから知っている。幼年時代、母についてサン・トゥーアンの蚤の市によく出かけたから・・・("DORA BRUDER" Gallimard p.9・・・拙訳)

 こうして、私ことモディアノの、見知らぬ少女ドーラ捜しは始まるのだ。

手紙.JPG
【右の手紙はモディアノがクラスフェルドに送った手紙】


 《一九二四年に、エルネスト・ブリュデールは十七歳の娘と結婚する。名前はセシール・ビュルデイ、一九〇七年の四月十七日にブタペストで生まれた。この結婚式がどこで執り行われたのだろうか。式の立会人の名前もわからない。二人はどんなきっかけで出会ったのだろうか?・・・》(p.28)

《ドーラ・ブリュデールについては、十二月十四日の失踪と「パリ・ソワール」に掲載された尋ね人欄以降、長い間何一つわからなかった。次に私が知ったのは、八ヶ月以上たった、一九四二年八月十三日に、彼女はドランシーのキャンプに強制連行されたということだった。登録カードによると、彼女はトゥーレルのキャンプから来た、ということになっている。事実、その一九四二年八月十三日には、三百人のユダヤ娘がトゥーレルのキャンプからドランシーに移送された》(p.62)

 この「ドランシー」という、パリの北東にある地名は当時最も不吉な地名だった。九割のユダヤ人がここから列車に乗せられ、アウシュヴィッツへと移送される。かの地での運命は、今では誰でも知る「ショア」だ。
 ここに出てくるたくさんの子供たちも、その経路をたどったのだ。

子供たちの写真.JPG
【ユダヤ人ということだけで、強制収容所に連行された子供たち】


少女.JPG
【名前はドゥニーズ=ドーラ、彼女は12歳だった】


少年.JPG
【アンリ・ジルビュール、彼も十二歳だった】


  奇しくもこの記事を書いている今日は、長崎の原爆記念日で、先ほど記念式典が行われていた。ここでも、無垢の子供たちの悲惨な死が赤裸々に描写される。ユダヤ人大虐殺(ショア)も、広島・長崎の原爆投下(これも一種のショア)も、どちらも人類史上類を見ない最も恥ずべき犯罪なのだ。

子供.JPG
【父親と戯れるジャン=ピエール・ガッケンエメール、七歳】


本を持つ子.JPG


 本好きの子供たちを集めたのだろうか。
 写真を集めたクラスフェルドのすごさは、死んだ子供たちを匿名のまま葬らずに、子供たち一人ずつに名前はもちろん、個性を与えて、生き返らせていることだ。そうすることによってこの子供たちの命を奪った者たちに罪の重さを再確認させることができる。
 死者が何万人では単なる統計だが、その死には顔があり、名前があり、趣味があり、甘えがあるということを示すことによって、死は単なる統計ではとらえられなくなり、ひとつひとつの尊い命(長崎では「御魂」と呼んでいた)となって時空を超える。

 帰り際、先ほどの上品な係員のマダムに、ルイ・マルの映画『さよなら子供たち』の一場面について質問したが、残念ながら、彼女はその場面を覚えていなかった。主人公の少年とその兄と母、そしてユダヤの少年がレストランで食事をするシーンだ。食事中、ミリス(親独の民兵・・・ドイツ兵よりも始末が悪い)の連中が見回りにやって来る。その時客の中にユダヤ人の老人を彼らは見つけるのだが、結局は見逃してしまう。
 アンチセミット(反ユダヤ主義者)たちは、子供は容赦しなかったが、老人にはそれほど関心がなかったのだろうか。ユダヤ人を根絶やしにする、という意味では確かに老人よりも子供を殺す方が効果的だ。
 そこで彼女にそのことをきいてみた。すると、そんなことはないと言う。彼らはユダヤ人と見たら、老若男女、容赦しなかったらしい。そこで、映画のシーンを説明するのだが、マダムは覚えていない(彼女はこの映画を大好きだと言っていたが・・・)。昔見て感動したことを覚えているのだろう。よくあることだ。

 また近くパリに行く予定だが(8月末)、バリ市庁舎の展覧会を楽しみにしている。かなり上質の企画が行われることが多い。

追記: 小説『ドーラ・ブリュデール』は翻訳が出ているらしい。邦訳の題名は完全に失念している。
スポンサーサイト
パリ散歩 | 21:28:15 | Trackback(0) | Comments(0)
コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

FC2Ad