■プロフィール

石田明生

Author:石田明生
ホームページの方もよろしくお願いします。
文学雑感、旅行記、翻訳などを載せています。

■4travel

スキピオの旅行記(写真付き)もごらんください。

■最近の記事
■カテゴリー
■最近のコメント
■月別アーカイブ

■最近のトラックバック
■リンク
■アクセス解析

■ブロとも申請フォーム
■ブログ内検索

■RSSフィード
カロジェロの名曲
 2005年の「ソワレ・デ・ザンフォレ」の歌の中で、もっとも気に入った曲は、カロジェロの持ち曲「根づく Prendre racine」だ。
 今ロック界で最も活躍しているアーチストといったら、カロジェロかも知れない。アルバムを派手に量産するわけではないが、3年に一度くらいの割合で質のいいのを出している。
 名前からしてそうだが、彼の両親はシチリア出身の移民で、彼自身はグルノーブル郊外で1971年に生まれた。楽器はコントラバスが専門だが、ギター(ソワレ・デ・アンフォワレでは「見せて」くれます)もキーボードもこなす。



《次のURLをクリックするとカロジェロの「Prendre racine」を聴くことができます》
http://www.youtube.com/watch?v=qW-vabObiCAhttp://www.youtube.com/watch?v=qW-vabObiCA


 ソワレ・デ・ザンフォワレでは、この「Prendre racine」をヤニック・ノア、ドゥ・パルマス、モーラーヌ、エレーヌ・セガラの4人で歌っている。このときカロジェロはギター伴奏をしているが、のりにのっている。

 元テニス選手のノアについてはすでに「メティス」の記事で紹介した。ティナ・アレーナについては別の機会に譲りたいのだが、いつになるかわからないので、簡単に紹介しておこう。彼女は2006年のソワレ・デ・ザンフォワレに初めて登場する。その抜群の歌唱力でたちまち人気者になったからだろうか、翌年のソワレ・デ・ザンフォワレではミュルデールとともにオープニングを飾る。
 単なるコンサートとはいえ、コスモポリットになったものだ。前回のコンサートのオープニングはルワンダ・カナダ人のコルネイユだった。今回のミュルデールはオランダ人、ティナは驚くべきことにオーストラリア人だ。なぜ驚くべきことかと言うと、名前がラテン系の名だし、容貌もアングロサクソン系には見えないからだ。それもそのはず、彼女自身は1967年にメルボルンで生まれたが、親はシチリア出身だった。そのためティナはまずイタリア語、次いで英語で話し歌う環境だったが、フランス語圏でデビューするためにフランス語で歌い出す。ジャン=ジャック・ゴールドマンという強力な味方を得て、たちまち人気者に・・・



 さて、「Prendre racine」の意味だが、これが訳者泣かせと来ている。はっきり言って、意味不明なのだ(もうすこしで「現代詩のように」と言いそうになった)。でも一見バラバラな詩句の並びから、フランス社会で暮らす移民の子・・・カロジェロ本人もそうだし、ティナ・アレーナもそうだ。また作詞のギラオもたぶんそうだろう・・・の魂の声が聞こえればいい。もちろん「移民の子は辛い」とか「いじめられた」とか、そんな表層的なことを訴えているのではない。もっと存在論的な・・・この歌詞で言えば「もっと不在論的な」人間と社会の同化と異化を問題にしているのではないだろうか。
 では、満足とはほど遠い拙い訳ですが・・・

 「根づく Prendre racine」

作詞:P. ギラオ 作曲: カロジェロ、ジャッキーノ

それは町からひどく遠いわけじゃない
それは安心感ほどの大きさ
それは僕たちの根(ルーツ)

根(ルーツ)はいつでも遠い所にあった
限りのない海が見える所に
そして未来が見える所に
そして未来が

他人に己の弱さを隠したいといつも思う
他の誰かが立ち去ってくれればと願望する
戻ることを恐れ
将来の権利を持ち

人は愛し合うことができるし、愛し合わないこともできる
人は、己がしていることにしか似ないものだ
人は夢を見ることもできるし、目覚めることもできる
人は、己のあるがままそっくりに見えるものだ

君が僕と一緒にどこにいようと
僕たちがどこへ行こうと、三人なのさ
欠如感と僕たち二人

八月に現れるすべての太陽
己のあるがままをなすことの欠如感
全体の不在
僕たちの不在

他人に己の弱さを隠したいといつも思う
他の誰かが立ち去ってくれればと願望する
戻ることを恐れ
将来の権利を持ち

人は愛し合うことができるし、愛し合わないこともできる
人は、己がしていることにしか似ないものだ
人は夢を見ることもできるし、目覚めることもできる
人は、己のあるがままそっくりに見えるものだ

人は愛し合うことができるし、愛し合わないこともできる
人は、己がしていることにしか似ないものだ

いくら列車に乗っても無駄なこと
いつでもそれは、ついにはできるのだから
頂点に触れることが
根づくことが

スポンサーサイト
ポップ・フランセ | 13:21:37 | Trackback(0) | Comments(0)
コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

FC2Ad