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石田明生

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2007年夏のパリ旅行(2)・・・ダリダ、奇跡のメダル教会、人質の教会
8月29日(水)
 不完全燃焼の睡眠のまま、7時過ぎにホテルを出て散歩する。ホテルの場所はサン・ドニの門のすぐ近くだったので、奇跡小路(注)から、後からやって来る中学の友人たちの宿泊予定のホテル「メトロポール・オペラ」界隈、つまり証券取引所界隈まで行った。
注:「奇跡小路」とは、ごろつきや乞食たちのたまり場のことで,昼間物乞いに出かけた足や目の悪い身障者たちがここに戻るとたちまち治ってしまうことから,この名がついた。ヴィクトール・ユゴーの『ノートル・ダム・ド・パリ』で活写されている。もっとも有名な奇跡小路はサン・ドニ門の近く。
 写真はまずホテルのある Taylor通りから始まる。ついで、手前にあるサン・マルタン門、次にサン・ドニ門。

テイロール通り入り口.JPG

「テイロール通り」入り口、
一瞬他人の家に侵入するような印象を持つ。


サン・マルタン門.JPG

「サン・マルタン門」パリに凱旋門は四つあるが,そのうち二つはここにある。
ともにルイXIV世時代のものだ。



サン・ドニ門.JPG
「サン・ドニ門」1672年に建立、高さは24メートルで、
エトワールの凱旋門ができるまでパリ最高を誇っていた。


 彼らの宿泊地の近くにパン屋のあるのを確認し、ついでに朝食用のパン、「ショソン・オ・ポンム」(注)とクロワッサンを買い、歩きながら食べる。こんなこと日本にいると考えられないが、パリでは違和感なくできるから不思議だ。
注:アップルパイに似たパンで、普通暖かい。
証券取引所.JPG
「証券取引所」

 ホテルをチェックアウトして、一路僕の滞在先(20区)に向かう。
 共和国広場に行く途中、ヨハン・シュトラウスと通り名になっているテイロール Taylor の彫像を撮る。二人は近くのルネッサンス座と関係があるのだろうか。
[後で調べたところ、Taylor は音楽家ではなく、ブリュッセル生まれの作家で,芸術家・音楽家の保護者だ(1789-1879)]

ルネッサンス座.JPG
「ルネッサンス座」このグラン・ブールバールは昔から芝居小屋が多い。


 滞在先で、旅装を解く。
 昼食はメニルモンタン通りを下って途中のトルコ料理でケバブ(注)とビールをとる(6+2ユーロ)。
注:アシエット・ケバブまたはアシエット・グレックという料理で、焼き肉の削ぎ落しと,サラダ、ポテトフライ,クスクスのようなものが皿に盛られて、ギリシャ・トルコ風のパンが付く。相当な量で大体6ユーロが相場,対して、ケバブ・サンドウィッチは肉の削ぎ落しとサラダ、ポテトフライがギリシャ・トルコ風のパンに挟まれたもの。4.5ユーロくらいが相場だ。

メニルモンタン通り.JPG
以前紹介したことのある「メニルモンタン通り」

メスナジェ.JPG
メスナジェの落書き(作品)

注:メスナジェに付いてはこのブログの『パリ20区は落書き芸術家のテリトリー・・・ベルヴィル・メニルモンタン』をご覧下さい。

 今日の最初の見学は、市庁舎で開催中の「ダリダ」展。彼女は庶民に本当に人気があるのだろう。入場制限をするほどの混みようだった。もちろん、中・高年層が主な見学者だ。撮影禁止なのでその光景が撮れなくて残念だった。
注:ダリダはモンマルトルの歌手として庶民に親しまれたが,1987年に自殺する。享年54歳だった。日本ではアラン・ドロンとの掛け合いの歌『甘いささやき』が大ヒットした。詳しくは2006年9月20日にアップした「モンマルトルの墓地を歩く」をご覧下さい。

ダリダ.JPG
パリ市庁舎のダリダ展ポスター


 次は「奇跡のメダル教会」に行く。カトリーヌ・ブーレ(注)のご遺体を見せていただいたが、やはり、何とも言えないものを感じた。結局,信仰とは信じるかどうかなのだ。彼女の遺体は「もしかすると蝋人形なのではないか?」そう思っているのでは、信仰とはほど遠い所にいるのかもしれない。胸の上で祈りのポーズをとりながらしっかり合わせた手、あれはまぎれもない彼女だ、と信ずることから始まるのかもしれない。僕にはできないことだ。
注:カトリーヌは1831年に礼拝所で聖母マリアの出現を体験する。以来この場所は「奇跡のメダル教会」と呼ばれ,カトリーヌは聖女となる。ルルドの聖母の出現を体験した(1858年)聖ベルナデットもそうだが,聖人の肉体は腐敗しないとされている。
 信仰もない僕が、祈るのも変だが,滞在先のマダムが穏やかに暮らせるように祈らせてもらった。
 帰りに,青い色のメダルを10個ばかり買った(10ユーロ)。
 このボンマルシェ界隈を散歩して帰途につく。

ボンマルシェ.JPG
最も古い1852年創立のデパート「ボン・マルシェ」入り口

ボン・マルシェ.JPG
デパート「ボン・マルシェ」のショー・ウィンド


 滞在先の最寄り駅「テレグラフ」近くにある「人質の教会」(ノートル・ダム・デ・ゾタージュ教会)に寄ったが、人質の壁は見つからなかった。帰ってミシュランのガイドブックを見ると,「教会の中庭」とある。それでは見つからなかったわけだ。中に入れるような感じではなかったからだ。この「人質」とは、パリ・コミューンの折り,コミューン派がここで殺した人たちのことだ。1871年5月26日に、追いつめられたコミューン派の人たちは人質に取っておいた司祭,修道士、パリ市民衛兵たち49人を銃殺したのだ。その報復は翌日から翌々日(27・28日)、ペール・ラ・シェーズ墓地で行われる。最後のコミューン派の闘志147人が壁に並ばされて銃殺されたのだ。報復が報復を呼ぶ、恐ろしい循環だ。そして何よりも恐ろしいのはその人たちが今まで愉快に気楽に声をかけていたごく普通の市民だったということだ。
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パリ旅行記(2007年) | 10:45:14 | Trackback(0) | Comments(2)
コメント
お帰りなさい。無事に帰国ですね。
ボン・マルシェ、『デパートを発明した夫婦』で読みました。
いまはどんな感じですか。やっぱり少し寂れた感があるのでしょうか(笑)
2007-09-16 日 22:31:00 | URL | titanx2 [編集]
titanx2 さん、こんばんは。
ボン・マルシェについて読みましたか。おもしろいでしょう。19世紀は消費文化を込めておもしろい(消費文化というものはそれまでなかった、または重要視されていなかった)。パッサージュからデパートへ、バルザックからゾラへ、時代は流れます。
ちなみに、ご存知のように「ボン・マルシェ」とは「安い」という意味ですが,現在のボン・マルシェは最も高級なデパートとなっています。左岸に唯一のデパートのせいか、今でも頑張っていますよ。
今回は,音楽ライブのDVDを7枚,CDを11枚買って来ました。もちろん、現代音楽ものです。後期も張り切って、勉強しようと思っています。
2007-09-17 月 00:07:45 | URL | [編集]
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