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石田明生

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2007年夏の旅日記(14)・・・モンマルトル、レ・アル
9月10日(月)快晴

 今日は旧友たちにとってパリ最後の日となる。だから、おみやげの買い物も視野に入れてパリ観光を目指す。
 まずはモンマルトルの丘を散歩する。
 モンマルトルという名前は「メルキュール神殿の丘」から来たという説があるが、それよりも面白いのは(失礼!)、「殉教者(マルチール)の丘」という語源だ。250年頃、初代パリ司教のサン・ドニは、ここで打ち首になったが、自らその首をかかえて、北に向かって歩いて行ったそうだ。そしてついに力尽きて倒れた地が、サン・ドニというわけだ。

アベス駅.JPG
モンマルトルの丘にある唯一のメトロ駅「アベス」、
この美しい駅はアール・ヌーボーの芸術家ギマールの作品。



 アベス駅から、サクレ・クール聖堂下まで歩く。

サクレ・クール.JPG
サクレ・クール聖堂

 1871年、普仏戦争に破れて、プロシャ軍のパリ入城を見たパリッ子たち、なかんずくモンマルトルの住民たちは、敵に大砲を穫られてなるものかと、171門の砲を丘の上に運び上げた。
 ドイツに降伏した政府側はその大砲を取り戻すべくルコント将軍をモンマルトルに派遣する。ところが彼は失策により、住民の怒りをかって捕らえられ、銃殺されてしまった。ここに、パリ・コミューンの幕は切って落とされ、政府軍とコミューン側との血を血で洗う戦いが始まった。
 結果はご存知の通りだが、右派のカトリック教徒たちは、そのコミューン勃発地点に鎮魂の意味を込めて教会堂を建てることを時の政府に発願し、認められる。それがサクレ・クール聖堂だ。1876年着工し、1914年に完成する。

 我々は聖堂見学をしたあと、隣のサン・ピエール教会に入る。地味な教会だが、サン・ジェルマン・デ・プレ教会とともにパリで最も古い教会だ。
 教会の前から、モン・スニ通りが北に下って行く。

モン・スニ.JPG
モン・スニ通りの石の彫刻

 有名なテルトル広場から、ぶらぶらと「マルセル・エメ広場」に行く。モンマルトルの壁抜け男をカメラマンはだしのM氏が写真に収める。

エメ.JPG
マルセル・エメ広場のマルセル・エメ像(M氏撮影)
このエメ像の作者はいわゆる彫刻家ではない。
驚くべきことにジャン・コクトーの映画『美女と野獣』の主役を演じた美男俳優ジャン・マレーだ。


 ルピック通りを行くと、映画『アメリー』で有名なカフェ「ドゥー・ムーラン」やゴッホ兄弟の住まいの前を通り過ぎ、「ブランシュ広場」に出る。この広場に面して有名な「ムーラン・ルージュ」がある。

ムーラン・ルージュ.JPG
ムーラン・ルージュ

 このブランシュ広場からピガール広場にかけて、ムーラン・ルージュのようなレヴュー劇場や「シャ・ノワール」などのようなキャバレーが軒を連ねる。かつてトゥールーズ・ロートレックが足しげく通い、そこのスターたちを絵に収めてポスター芸術の頂点を極めた。
 骨なしバランタンも、ジャンヌ・アブリルも、アリスチード・ブリユアンも、イヴェット・ギルベールも、大スターたちは皆彼の筆に愛撫された。世紀末の大スターたちは20世紀への夢の橋渡しでもあった。

 我々は、ムーラン・ルージュの見えるカフェで、カフェ・クレームを飲んで一休みする。そう、街角のカフェとカフェ・クレーム(イタリア語でカプチーノ)はよく似合う。
 カフェ・クレームを飲みながら、これからの予定について相談する。そこで最後の昼食は中華料理ということになる。さて、どこで中華料理店を見つけるか。もちろん、ベル・ヴィルやプラス・ディタリーに行けばいくらでもあるのだが、おみやげの買い物ということも考えねばならない。結局あるかどうか心もとないが、買い物を優先して、レ・アルからポンピドゥー・センター、つまりボーブール界隈に行くことにする。
 ところが、安価な中華料理店はあるのだが、フルコースをとってゆっくり食事のできるような中華レストランが見つからない。ポンピドゥーから、レ・アルの公園までぶらぶらする。

カッサン.JPG
ルネ・カッサン広場『アンリ・ド・ミレの頭像』マソージ・ド・ブルゴーニュ作

 地面に耳を当てて、パリの鼓動を聴いているかのようなミレの頭像を見て、隣のサン・トゥースタッシュ教会を見学する。こうなったら、グルメ通り「モントルグイユ街」に行くしかないかな。でも、この通りに中華料理店はないような気がする。が、通りの入り口の向こうに「・・・酒家」の看板が見つかる。ここだ!
 10ユーロくらいの定食でしっかり中華料理を味わう。
 昼食後の散歩は買い物中心となる。まずはレ・アルの地下に降りて買い物をし、ついでメトロでオテル・ド・ヴィル(パリ市庁舎)隣のデパートBHVに行く。ここで、M氏はみやげに携帯ストラップを買いたいという。僕は携帯を持っていないのであまり気にしていなかったが、彼が指摘するところによると、フランスではあまり携帯にストラップがついていないらしい。だから、ストラップのみやげを買うことに悲観的になっている。第一にストラップをフランス語で何というか。わからないので彼のを見せて「こういうのはどこで売っているか?」と尋ねる。すると店員は「鍵の紐 ficelle de clef」(?)のように言った。売り場を教えてくれたが、やはり期待できない。
 BHVからさほど遠くないところに「Produits de monastere」がある。僕の大好きな店だ。僕自身もここでジャムを買うように言われているのでどうしても寄りたい。みんなを引き連れて歩いて行ったが、着いてビックリ。月曜日は定休なのだ。もっとも今までの彼らの好みからするとこの店をそれほど気に入るとも思えないから、むしろよかったかも知れない。というのは、お気に入りの店を無視されるのは紹介するものにとってつらいからだ。
 仕方がないので、サン・ポール界隈でチョコレートでもと思って僕の知っているショコラティエに行くと、またまた愕然とする。この店に限らず、何軒かあるチョコレート屋はすべて休みなのだ。これは覚えていた方がいいのだろう。ショコラティエは月曜は「だめよ」だ。

ラグビー.JPG
マレー地区で気勢を上げるスコットランド人たち

 意気消沈して歩いていると、気勢を上げるスコットランド人たちと遭遇する。ラグビーの応援団だ。
 彼らから元気をもらって気分転換し、メトロで一挙にギャルリー・ラファィエットに行き買い物に邁進する。

ラファイェット.JPG
デパート「ギャルリー・ラファィエット」の天井のアール・ヌーヴォー


 ギュルリー・ラファィエットから、隣のプランタンにかけて、みやげ物を物色して歩く。
 みやげのチョコレートは、結局はスーパー「モノプリ」で買う。翌日の後日談になるが、マダムYの買った箱詰めのチョコレートが、シャルル・ド・ゴール飛行場の店でも売られていた。値段?・・・空港のは倍近くした。
 最後の夜は、バトー・ムーシュに乗ってセーヌ川からパリを見る。船がくぐった橋を列挙すると・・・

 アンヴァリッド橋→アレクサンドル3世橋→コンコルド橋→ソルフェリーノ橋→ロワイヤル橋→カルーゼル橋→芸術橋→ポン・ヌッフ橋→サン・ミシェル橋→ドゥブル橋→アルシュヴェシェ橋→トゥルネル橋→シュリー橋→(ターン)

→シュリー橋→ルイ・フィップ橋→アルコレ橋→ノートル橋→シャンジュ橋→ポン・ヌフ→芸術橋→カルーゼル橋→ロワイヤル橋→ソルフェリーノ橋→コンコルド橋→アレクサンドル3世橋→アンヴァリッド橋→アルマ橋→イエナ橋→ビラ・カン橋→グルネル橋→(ターン)
→グルネル橋→ビラ・カン橋→イエナ橋→アルマ橋(到着)

ルーヴル.JPG
ルーヴル美術館(M氏撮影)

コンシエルジュリー.JPG
コンシエルジュリー(M氏撮影)

エッフェル塔.JPG


 船を降りて、アルマ橋のほとりを歩いていると自由の女神が持つたいまつの炎があった。その近くが、ダイアナ妃の事故死地点のため、観光客たちは皆このたいまつを妃の記念碑に見立てている。

すりっぱ.JPG
今日も花束が・・・(M氏撮影)


 いよいよ、四人の旧友たちにとって最後の晩、シャンパンもワインもしこたま買い込んであるから、大宴会に不足はない。
 [男たちは次の日の朝、部屋のドアを開けっ放しでくたばっていたとか・・・]ぼくもそのひとりでした。
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パリ旅行記(2007年) | 22:34:40 | Trackback(1) | Comments(0)
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アール・ヌーヴォーアール・ヌーヴォー (仏:Art Nouveau) とは、19世紀末にヨーロッパで花開いた新しい装飾美術の傾向を指す。有機的な自由曲線の組み合わせ、鉄やガラスといった素材が特徴。Art Nouveau はフランス語で「新しい芸術」を意味し、パリの美術商、サミュエル 2007-10-12 Fri 17:13:19 | 工芸について説明いろいろ

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