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石田明生

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2007年夏のパリ日記(16)・・・ピクピュス界隈
9月12日(水)快晴
 パリ滞在最後の日だ。
 まず、モディアノの小説『ドーラ・ブリュデール』のドーラが通った高校のあったピクピュス界隈(12区)に行く。彼女の寄宿学校はロトシルドの病院近くにあるとわかっていたので、その辺りを散策する。

病院.JPG
ロトシルド(ロスチャイルド)病院

 すると、今日は水曜日だからだろう、高校生くらいの少年・少女が群れをなして歩いているではないか。ちょうど下校風景に遭遇したのだ。思わず,シャッターを押しまくる。すると、僕がカメラを持っているのに気付いた女の子が「あっ,カメラを持っている!」と、叫んだ。これはまずかったかな,と思うと,「ねえ,写真,撮ってよ」と言うではないか。もちろん、否やはない(この部分は8月30日「ドランシー」の日記と重複します)。


高校生.JPG
高校生の下校風景

二人.JPG
左の女の子が僕に話しかけて来た。
彼女はそのあと、Je t'aime, bebe. は日本語で何というのと聞いて来た。
「Aishiteru」だよ、と答えるとぱっと嬉しそうな顔をした。


リセ.JPG
リセ「サン=ミシェル」

 というわけで、もしかすると、高校生のドーラもこんな屈託のない女の子だったかも知れない。そう思って写真におさめる。近くの「リセ・サン=ミシェル」の高校生だった。
 このピクピュスという町はヴィクトール・ユゴーの小説『レ・ミゼラブル』の舞台にもなっている。
 コゼットを連れて、左岸からオーステルリッツ橋を渡って逃げて来たジャン・ヴァルジャンだが、執拗なジャベール警部の追跡にあい、ついに袋小路に追いつめられる。だが彼は万事休すと思った時になんとか傍の塀を乗り越える。しかもコゼットをもひもで引き上げるという芸当までやってのけるのだ。そして塀の中でじっとして警察をやり過ごす。だがほっとするのもつかの間、ここは一体どこだろうか。
 そうこうするうちにジャン・ヴァルジャンは中に住む一人の老人に見つかってしまう。が、その老人は以前彼が命を救ったことのある男だった。その男の話を聞いて仰天する。その敷地はなんと女子修道院だったのだ。もちろん見つかればおおごとだ。
 この修道院から出るとき、ジャン・ヴァルジャンは一世一代の賭けに打って出る。修道院内で死んだ修道女の代わりに死体となって棺に入り、墓地に行くのだ。一つ間違えば生き埋めになる・・・話はこの辺にしておこう。ちなみに墓地はかなり遠く、左岸にある。

 次にバスでレ・アルに向かった。フォーラム・デ・アルのフナックでDVDとCDを買う。DVDは10ユーロ(厳密には9.99ユーロ)で大売り出ししていたので買いまくる。ヤニック・ノア、パトリック・ブリュエル、ジャン=ジャック・ゴールドマン、フランシス・キャブレルたちのライプコンサート、『ノートル・ダム・ド・パリ』『星の王子様』のミュージカルなどなど・・・CDは大体6ユーロ程度のものを中心に買う。
 最後のメモリアルな昼食はどこでしようか,悩んだ末,モンパルナス駅近くのレストラン「ル・パラディ」でとることにした。
 1時過ぎに着いたのですさまじい混みようだった。相席にしてもらいなんとか席につくことができた。
 あまりに忙しいせいか、僕にサービスの「サングリア」を持ってくるのを忘れている。忙しいところ申し訳ないが、お願いする。やはりここに来て,これを飲まないと・・・
 前菜は「キッシュ・ロレーヌ」メインは「ポークのキノコソースとスパゲッティ添え」にした。ワインはテーブルワインの25ミリ、デザートは「クレーム・オ・キャラメル(プリン)」最後はコーヒー。
 締めて13.50だった。
 その後、モノ・プリで買い物をしたが,店を出る時フナックで買ったCDが盗難防止のセンサーに引っかかり、もう少しで万引き扱いされるところだった。カフカの審判を思い出し、この世の不条理を嘆き、この世の不当性に怒り、ガードマンに本気で「むっと」してやった。僕の無実がわかっても(当たり前だ!)、謝り度が低いのだ。

 アパルトマンに戻って、帰り支度をする。いつここに戻れるかわからないので馴染みのサロンを写真に収める。

サロン.JPG
30年来の友人宅の居間

写真2.JPG

僕の家族と別の友人夫妻の写真が立てかけられた書棚


 明日の朝は僕の出発が早いので、通いで10時頃やって来るマダム・バリーに会えない。だから、今別れの挨拶をする。部屋の掃除も、シーツの洗濯もお願いします。申し訳ありません、などなど。そしてこの家のマダムとの別れ・・・

 酔いつぶれて寝たが,12時半頃目が覚める。少し残っていたパスティス(アニス酒)を飲み、エリック・サティーを聴きながら、この日記を書く。思いのほかパスティスとエリック・サティーはよく似合う。至福の瞬間だ。
 窓のシャッターが盛んに騒いでいる。珍しく風のようだ。
 今心配なのは,というのは新たな心配が生まれたのだが,スーツケースのチャックが壊れたのだ。飛行機で運ばれる明日一日もってくれればいいが・・・


9月13日(木)快晴

 朝,簡単に朝食を済ませて,家を出る。なんとかスーツケースがもっている。成田まで大丈夫だろうか。
 アエロフロートに乗ってモスクワまで、そしてモスクワから成田まで行くが,特筆することもなく到着する。強いて言えば、機内で読んだ新聞に掲載されていた「安倍首相辞任」のニュースだろうか。これには驚いた。
 スーツケース? そうそう、チャックは大丈夫だったが,ハンドルが壊れていた。まあ,よく頑張った。緑のスーツ・ケースさん、ご苦労様。
 2007年夏のパリ旅行、得るところも、失うものも、悲しむことも、嬉しいことも、様々なことのあった旅でした。
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パリ旅行記(2007年) | 16:27:56 | Trackback(0) | Comments(0)
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